2023年大河ドラマ「どうする家康」で、お田鶴の方(おたづのかた)、椿姫を関水 渚さんが演じられます。
女城主としてお城を守る お田鶴の方はどんな人なのか?について触れてみたいと思います。
また、椿姫と呼ばれた由縁についても採り上げます。ご興味のある方はお付き合いください。
女城主 お田鶴の方はどんな人?お田鶴の方の生年
お田鶴の方のハッキリとした生年はわかりませんが、天文19年(1550年)ではないかと見られているようです。
三河国宝飯郡(現在の愛知県蒲郡市)の生まれとされています。
お田鶴の方の両親について
父親については諸説あるようですが、鵜殿長持(うどのながもち)か小笠原鎮実(おがさわらしげさね)と二つの説があります。
大河ドラマ「どうする家康」では、父親について触れる場面があるのかはわかりませんが、おそらく、鵜殿長持を父親とするのではないかと思われます。
ドラマ内で鵜殿長照(うどのながてる)の名前がありましたから、お田鶴の方の兄として登場するのだと思います。
母親は今川家9代当主 今川氏親の娘ですから、今川義元とは義妹となります。
お田鶴の方から見て今川義元は、叔父と姪の間柄になります。
お田鶴の方が女城主になった理由?
お田鶴の方は後に遠江国 曳馬城主(とおとうみのくに・ひくまじょうしゅ)となる飯尾連龍(いのおつらたつ)に嫁ぎます。
彼女が女城主になった理由は、夫の飯尾連龍が義元の息子である今川氏真(いまがわうじざね)に謀殺されてしまったことから、夫の死後に城主となります。
夫の飯尾連龍が亡くなった理由?
夫の死後に城主になるわけですが、こんな状況に陥った原因は桶狭間の戦いで今川義元が討たれてしまったのが全ての原因です。
義元の死後の今川家臣団は統率力が欠けていました。飯尾連龍が謀殺された理由は、徳川家康と内通したことです。
徳川家康は1562年に織田信長と同盟を結んでいます。
この時期に織田家、徳川家連合軍につくのか? 甲斐の武田家につくのか? 今川家につくのか?という選択で飯尾連龍は、徳川家につく選択をしています。
飯尾連龍の死因については諸説があるようですが、謀殺の他に討ち死に、今川氏真が切腹させたなど様々な説があるようです。
お田鶴の方の最後
夫の死後、遠江国 曳馬城主(とおとうみのくに・ひくまじょうしゅ)になった お田鶴の方は最終的に有力な戦国大名にはつかず、単独で籠城して自ら薙刀をふるい侍女たちと共に徳川軍と戦って討ち死にしたとされています。
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お田鶴の方の生涯についての私感
桶狭間の戦いで叔父の今川義元が討たれてから彼女の人生は、大きく変わってしまったと感じます。夫の飯尾連龍が今川家ではなく、徳川家についてしまったことについて思うことがあります。
彼女の心情まではわかりませんが、夫の判断で母親の実家と揉め事を起こした訳ですから複雑な心情だったのではないでしょうか?
夫の死後に彼女は曳馬城主となりますが、何故 他の有力な戦国大名に仕えなかったのかが、わかりません。
あくまで、個人的な考えですが彼女は親しく周囲で信用できる者以外は、誰も信用できなかったのかもしれません。
母親の実家でもあり、従兄弟でもある今川氏真によって夫が謀殺されたことで誰も信用できなくなったのが原因ではないかと考えます。
死を覚悟して籠城するわけですが、案外この判断は間違いなかったとも思えます。
そのように思えるのは、織田信長や徳川家康の後の行動から理解できると思います。
信長は降伏した者でも処刑していますし、身内で叔母でもある おつやの方を処刑するという残忍な行動があります。
家康にしても信長ほど残忍ではないかもしれませんが、約束事を反故にしていたことが多々あります。
この観点から考えて彼女の悲劇的な結末は変えられようがなかったと思えるのです。
彼女が亡くなった時期が永禄11年(1568年)とされていますから、生年が1550年であれば、数え年で19歳で亡くなったことになります。
20歳にも満たない年齢で若く勇敢に戦った短い生涯です。(1550年生まれの場合での話です)
叔父の今川義元が討ち取られることが無ければ、少しは違った幸福な生涯を送ることができていたかもしれません。
どうする家康で描かれたお田鶴の方の最後について
どうする家康で描かれたお田鶴の方の最後についてですが、物語の流れは ほぼ定説通りの内容に沿ったものであったと思います。
ただ少し、彼女の身勝手な部分も見受けられたものもあります。
それは、最後の今川家の良かった頃の事を思い浮かべて、あの時代に戻したい発想をしています。
そこが身勝手なところであると感じたのです。
Twitterでもそのように感じた方がおられたようです。
田鶴さまは城下で民のこともちゃんと見てますよ風なそぶりをして満足してたけど、「駿河は良かった、もう一回あの時代を」って懐かしんでるってことは今川下で重罪に苦しんでた民のことは見えてなかったということなので二重にエグい構図になってるんだな
— さしみ (@_sashimin_) March 19, 2023
彼女は、今川家の下で重税に苦しんでいる民の事が見えていません。
ドラマで描かれる徳川家康(松平元康)にしても今川家を裏切りたくない心情の描写がありましたが、家臣が今川家の下での重税で苦渋を強いられた事から泣く泣く家臣のために裏切ったのです。
彼女(お田鶴の方)が、今川家を裏切った夫や家康が間違っていると非難しますが、彼女の過ごした幸せな今川家は、彼らの家臣や下々の民の犠牲で成り立ったものです。
彼女(お田鶴の方)に、その現状が見えていなかった、又、わかっていなかったところが残念に感じます。
椿姫の由縁について
お田鶴の方が椿姫と呼ばれる由縁は徳川家康の正室 築山殿が影響しています。
築山殿が、亡くなったお田鶴の方と侍女たちを葬った時に椿を植え込み、供養したとあります。
このことから、椿姫と呼ばれるのですが、亡くなってから付けられた名前なので何か、もの寂しい感じがします。
大河ドラマ「どうする家康」で、お田鶴の方を関水 渚さんが演じられますが、最後の結末がわかるだけに重苦しい感情になると思います。
因みに、お田鶴の方が籠城した曳馬城は陥落後に徳川家康が拡張や改修を行い浜松城と改名されています。
以上、女城主・お田鶴の方についてでした。