「どうする家康」の大河ドラマが始まりましたが、SNSの間では評判が良くなく早くも脱落者が続出という声を聞きます。ドラマ内で、違和感を感じた部分が多くあるようです。
今回は、大河ドラマ「どうする家康」の脱落者が続出する理由について何がいけないのか?過去の大河ドラマと比較して考えてみたいと思います。
脱落者が続出する理由?過去の大河ドラマと比較して何がいけない?
1話目で今川義元が亡くなる
堂々たる風格で狂言師の野村萬斎さんが今川義元を演じていますが、たった一話目で桶狭間合戦が描かれて亡くなってしまいます。
視聴している方も「エッ 義元の出番はもう終わりなの?」とあっけなく感じたはずです。
過去の大河ドラマでも今川義元が、一話目で消えてしまったものは見たことがありません。
もう少し、今川家の桶狭間合戦に関わるエピソードを盛り込むなどして、野村萬斎さんが演じる今川義元を見ていたかった気がします。
この今川家の早すぎる結末に共感できない視聴者も多くいたのではないでしょうか?
子役を立てずに40歳近い松本潤さんに人形遊びをさせた
第一話目で13歳時期の家康を子役を立てずに松本潤さんが演じていましたが、流石に40歳近い方に人形遊びをさせたのは見ている視聴者からしてもイタかったのでは?と思います。
ただ、過去の大河ドラマでも子役を立てずに年代的に年上の人が演じることはよくあります。
前年度の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも北条泰時(金剛)を演じていた年齢30歳あたりの坂口健太郎さんが、10歳の金剛を演じていたのは違和感ありすぎでした。(テロップで理由づけしてましたね)
他の大河ドラマでも「江~姫たちの戦国~」などでも子役を立てずに演じているところもありましたから、NHK制作側も違和感のないように制作してほしいと思います。
馬に騎乗して翔るCGに違和感?
馬に騎乗して翔るCGは、画像の動きから違和感があると酷評でした。
これは、憶測ですが制作費をケチったのかもしれません。(NHKに利益があるのか?無いのか?はわかりませんが)
過去の撮影でCGの技術が無い時代は全て、風景、セット、人材(役者やエキストラ)、馬などを準備しなければなりませんから莫大な経費がかかります。
経費を考えるとCG画像で補う気持ちもわからなくはありませんが、見せ方をもう少し、どうにかできなかったのかと思ってしまいます。
ただ、個人的な考え方ですが40年前の大河ドラマ「徳川家康」に現在のCG技術が出された初期の頃であれば、逆に凄い画像として称賛された可能性もあるかもしれません。
いきなり、父親の松平広忠と母親の於大の方の回想的な場面が出てくる?
これは、徳川家康の歴史を知らない視聴者からすると共感できずに混乱したかもしれません。
第二話目で家康の現在の状況から、年代説明テロップもないままで突然、過去に遡り父親の松平広忠と母親の於大の方の回想的な場面が出てきます。
見ている視聴者からすると「何コレッ?」となったかもしれません。
これが、脚本家の古沢良太(こさわりょうた)さんの持ち味なのかもしれませんが、視聴者が共感できるかどうかを考えると微妙ではないかと思います。
今後、過去の回想的場面の遡りで両親や家康の幼少期を放送するとなると、徳川家康の歴史を熟知している人なら問題ないですが歴史を知らない人からすると感情移入して視聴できないのでは?と考えます。
家康は幼少期の頃より人質生活を送るという悲劇的なエピソードがありますから、普通の大河ドラマのように幼少期から始めるほうが徳川家康の歴史を知らない人にとっては良かったのではないかと思います。
特に徳川家康の幼年期や少年期に何のエピソードも無いのであれば、「どうする家康」の始まりや構成は、これで良かった気がします。
少し話が逸れてしまいますが、逆に前半生に何のエピソードも無いのに無理やりに前半生に物語を盛り込んで、失敗だったと思う大河ドラマがあります。(個人的に思うことです)
それは、「麒麟がくる」の明智光秀の前半生です。
光秀の前半生は、謎めいていて、よくわかっていません。
無理に史実に無い物語を盛り込んでほしくなかったと個人的に思います。
それよりも、武田氏滅亡のきっかけとなった長篠の戦や甲州征伐の場面を盛り込んでほしかったと個人的に思います。
我が子を寅の化身として「がおー、がおー」と言っている 於大の方が微妙?
徳川家康の母親である於大の方を松嶋菜々子さんが演じていますが、この場面の表現に視聴者も微妙に感じているようです。
今までの大河ドラマにも無いような表現をしていると思いますが、脚本家の古沢良太さんは、ウケや意外性を狙っているのかもしれません。よくわかりませんが?
松平昌久の襲撃で火縄銃の連射
松平昌久が家康を騙し打ちをするわけですが、その時に持ち込まれた火縄銃の連射に視聴者から酷評されたようです。視聴者は、時代考証が雑にされていると見ています。
鉄砲が伝来されたのは、1543年ですから1560年に鉄砲を武器として保持していてもおかしくはありません。
しかし、鉄砲を武器として大量に扱ったとされているのは織田信長ですから、松平昌久くらいの小領主が鉄砲を大量に持つのかは疑問です。
しかも、連射撃ちをしていますから余計に時代に合わないと思ったのではないでしょうか?
史実にある長篠の戦でも鉄砲三段撃ちは現実として難しいのでは?と見られているようです。
この事を踏まえて、松平昌久の火縄銃連射の襲撃場面は不自然であり、鉄砲単発撃ちか、弓矢での襲撃が妥当と考える視聴者が多かったのではないでしょうか?
織田信長の初登場の姿で、すでに西洋のマントを身に着けている?
岡田准一さんが演じる織田信長が、すでに西洋のマントを身に着けているところに違和感を感じた視聴者がおられたようです。
これも時代考証が雑だと思われているようです。
現在に根付いている信長のイメージが制作スタッフの頭の根底にあるのかもしれません。
そう考えると時代考証が雑だとか無視していると見られても当然だと思います。
信長がスペインのイエズス会宣教師と関わりをもつのは、まだ先のことであるので西洋マントを身に着けて初めての登場は微妙であったと思います。
話から逸れてしまいますが、岡田准一さんが演じる織田信長を見ているとゲーム制作会社のコーエーテクモゲームスが制作している「信長の野望」のイメージが強く感じられます。
「どうする家康」の信長のイメージは「信長の野望」から来ているのでは?と思います。
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まとめ
以上が、脱落者が続出する理由?「どうする家康」についてです。一言でいうなら、今回の大河ドラマは始まりから違和感がありすぎたから脱落者が続出したのではないかということです。
本来の大河ドラマであれば、家康には幼少期から悲劇的なエピソードがありますから、幼少期から始めるのが妥当です。
幼少期から始めていれば、第一話目で今川義元が亡くなることは無いでしょうし、いきなり、出て来る父親と母親の回想的場面も無く初めから両親が存在した状態で物語が進んだことでしょう。
脚本家の古沢良太さんは、現在のテレビドラマでは人気のある脚本家ですから、今回の大河ドラマは従来の大河ドラマに無い意外性を狙ったのかもしれません。
今後、過去の回想的場面を増やすとなると、どれだけの視聴者が共感できるのかはわかりませんが、家康の歴史(生涯)を知らないと感情移入も難しいのでは?と思います。
CG画像の採り入れや時代考証の雑さなども今後どのようになっていくのかはわかりませんが、時代に合った見せ方をしてほしいと思います。
ただ、意外性だけを求めるのなら現状で良いのかもしれません。
皆さんはどのようにお考えでしょうか?