大河ドラマ【どうする家康】で村雨辰剛さんが演じるウィリアム・アダムス(三浦按針)が登場していますね。
ウィリアム・アダムスはイングランド人の航海士ですが、過去の大河ドラマではあまり取り上げられた人物ではないことからご存知でない方が多いのではないでしょうか。
今回はウィリアム・アダムス(三浦按針)について紹介します。
村雨辰剛さんが演じるウィリアム・アダムス(三浦按針)はどんな人?
【🗣️第11弾 #新たなキャスト】
— 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) August 3, 2023
対外政策を任されたイギリス人航海士#ウィリアム・アダムス / #村雨辰剛
英国生まれの航海士。
朝鮮出兵後の対外関係に頭を痛める家康の相談相手となり、やがて江戸に招かれ、外交顧問として重用される。
日本名・ #三浦按針(あんじん)。#どうする家康 pic.twitter.com/9eK37bCvFs
*ウィリアム・アダムスの生い立ち
・イングランド名:ウィリアム・アダムス
・日本名:三浦按針(みうら あんじん)
※後に船舶を建造した功績で旗本に取り立てられ日本名に改名。
・生年月日:1564年9月24日
・出生地:イングランド(イギリス) ケント州 ジリンガム
・死去日:1620年5月26日
*ウィリアム・アダムスの家族構成
・妻:メアリー・ハイン、お雪?
※メアリーはおそらくイングランドにいる妻、お雪は日本在住時の妻
・子供:デリヴァレンス、ジョン、ジョゼフ、スザンナ
※デリヴァレンスとジョンはメアリーとの子供、ジョゼフとスザンナはお雪との子供
村雨辰剛さんがウィリアム・アダムス(三浦按針)を演じていますね。
余談になりますが、村雨辰剛さんはNHK番組の「大奥 医療編」で蘭学者となる青沼役を好演していて話題となっています。
【どうする家康】でも流暢な日本語で喋られるのではないかと思います。
ウィリアム・アダムスは具体的に徳川家康の元で何をしたかと言うと、1600年の関ケ原の戦いが起きる前の半年前(西暦での4月29日)に日本に漂着し、当時 難航していた朝鮮出兵後の対外関係について家康の相談役となっています。
後に外交顧問として家康から信頼され、船舶の建造などで功績を賞されてからは旗本にも取り立てられ領地も与えられています。
日本名もこの時の功績で改名したようですね。
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ウィリアム・アダムスについて幾つか紹介します。
青年時代は海軍に所属していた!
ウィリアム・アダムスの父は船員だったようですが自身が12歳になる頃に亡くなったようです。
後に航海術に興味を持つわけですが、おそらく父が船員だったことも影響しているのかもしれません。
父の死後は故郷を去り12歳という少年の身でロンドンに移り、船大工の棟梁に弟子入りします。
後に24歳あたりの頃に航海術に興味があったことから海軍に入隊し、貨物補給船の船長として海戦に赴いています。
ウィリアム・アダムスには2人の妻がいた!
ウィリアム・アダムスには妻が2人います。
初めの妻はイングランドにいた時に海軍に入隊して翌年に結婚したメアリー・ハインです。
彼女との間にデリヴァレンスとジョンという2人の子供がいます。
2人目の妻は日本に漂着した後に結婚したお雪?という女性です。
彼女との間にジョゼフとスザンナという2人の子供がいます。
ジョゼフは父のウィリアム・アダムスが亡くなってからは家督を継ぎ2代目の三浦按針(みうら あんじん)を名乗っています。
何故、イングランドにいると思われる妻がいながら日本で妻を娶ったのか?疑問に感じられるかもしれませんが、問題は家康にあると言えます。
日本に漂着してからウィリアム・アダムスに引見した家康は他国の通訳ができることから外交使節に有能な人物と見られていたのだと思われます。
過去に豊臣秀吉の命令で唐入り(朝鮮出兵)後の対外政策に頭を悩まされていた家康は彼の手腕が必要と感じて祖国への帰国を許さなかったのでしょう。
ウィリアム・アダムスは海軍を除隊してからはロンドンの会社で航海士の船長として勤務していますが、多忙なことからあまり妻のメアリーや子供たちと接することが少なかったようです。
それでも帰国願いを出しているのですから、余計に祖国に帰りたかったのでしょうね。
家康は国益のためとは言え酷な事をしています。
ウィリアム・アダムスは日本に漂着した自身を家康に救われていますから文句も言えなかったのだと思われます。
航海は困難なものだった!日本に漂着しても困難だったが?
ウィリアム・アダムスは日本に漂着する前の約2年前(1598年6月24日)にリーフデ号に乗船して航海したのですが、とても困難なものだったようです。
元々はロッテルダムから極東を目指す予定でしたが、他国のスペイン船やインディオなどの襲撃にあったり寄港先での流行り病などで命を失う船員が多くいました。
日本に漂着した時にも困難で拘束されて、イエズス会宣教師たちから処刑を要求されていたようです。
少し疑問に思うのは何故、この時期に宣教師がいたのか?が疑問ですね。
豊臣秀吉は既に亡くなっていますが、以前にバテレン追放令が出されていたので何故彼らがいたのかが分からないですね。
ウィリアム・アダムスらと引見した家康は宣教師たちの要求を無視して彼らの拘束を解き命を救っています。
先ほどにも記載しましたが、祖国への帰国は許されませんでしたが、俸給などを与えて江戸に留まっていますし船舶建造や外交顧問として功績があれば、それにも報いています。
家康とウィリアム・アダムスの2人の経緯を見ると「家康は国益のため」「ウィリアムは命を救ってくれた恩人のため」という感じなので意外にもお互いに信頼していたのではないでしょうか。
家康だけが一方的に信頼していたわけではないのかもしれません。
家康が亡くなる2年前(1614年)にウィリアム・アダムスは祖国に帰国できる可能性があったようです。
日本漂着でリーフデ号に積まれていた物が関ケ原の戦いで役だった可能性がある?
余談になりますが、ウィリアム・アダムスらが乗船していたリーフデ号には関ケ原の戦いで役だった物があるという説があるようです。
船員を拘束した時にリーフデ号に積まれていた弾薬、火縄銃、大砲が没収されています。
特に関ヶ原の戦いで大いに役だったのは大砲であるそうです。
中々寝返らず動きのない小早川秀秋の陣営に目掛けて大砲を打ち込んだ説がありますよね。
この大砲がリーフデ号から没収した大砲である可能性があるようです。
ただ、あくまで諸説なので実際に家康が小早川秀秋の陣営に目掛けて大砲を打ち込んだのかは分からないところです。
祖国に帰国できる可能性があったけど?相手と反りが合わなかった!
ウィリアム・アダムスは祖国に帰国できる可能性があったようですが取りやめたようです。
祖国に帰国しなかった理由は下記の通りです。
『1614年(慶長19年)のクローブ号帰還の際には、一緒に帰国できる許可が日英両方から出たが、同船司令官のジョン・セーリスと馬が合わず、帰国を見送った。セーリスは何事も日本式を強要するアダムズが気に入らず、アダムズはセーリスを生意気で無礼な青二才として嫌っていた。』
引用:ウィリアム・アダムス 改名より「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」
日英両国から祖国に帰国できる許可を得たというのに何か勿体ない感じがしますね。
14年間も日本に在住して、ようやく帰国できるというのに年下の司令官が嫌いで我慢できなかったというのは何とも言えないですね。
日本式に拘るところからして、ウィリアム・アダムスは日本に長年在住したことで、いつの間にか日本かぶれになってしまったのかもしれないですね。
帰国を見送ったとありますが、この後は帰国をする機会は訪れませんから無理にでも我慢して帰国すべきだったと個人的に思います。
因みにウィリアム・アダムスは6年後の1620年に56歳くらいで亡くなります。
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改名した日本名について
ウィリアム・アダムスは船舶建造の功績として250石の旗本となり、相模国逸見(現在の神奈川県横須賀市)の領地を与えられています。
この時に三浦按針(みうら あんじん)という日本名に改名します。
姓名の三浦は領地の地名にある三浦郡から、下の名の按針はウィリアムが航海士の職業から名付けられたようです。
水先案内人という意味があるそうですよ。
ウィリアム・アダムスの2番目の妻 お雪は出自や名前が定かではない?
2番目の妻 お雪は出自や名前が定かではないそうです。
家康の御用商人であった人物の娘とされていたそうですが定かではないそうで不明のようです。
名前の お雪にしても昭和時代の小説などから出ているようなので実際の史料では夫人名はないそうです。
確かな事は彼女が産んだ子供がジョゼフとスザンナであることです。
まとめ
ウィリアム・アダムスという人物については、
・航海術に興味があったことから青年時代は海軍に所属していた事
・海軍除隊後はロンドンの会社で航海士の船長だった事
・妻は2人いた事(メアリー・ハイン、お雪?)
・日本に漂着して家康に助けられて船舶建造や外交顧問などで功績があった事
・祖国に帰国できるのに相手とそりが合わず帰国しなかった事
などが挙げられるでしょうか。
日本に漂着して家康に助けられたのは幸いですが、14年後になってようやく祖国に戻れるのにクローブ号の司令官と反りが合わない事で帰国しなかったのは勿体ないと感じましたね。
ウィリアム・アダムスはという人物は頑固で拘りのある一面があるのかもしれません。
ただ、そんな頑固な一面があるのに外交顧問としての功績を残せたのは不思議な気がしますね。
以上、どうする家康で村雨辰剛さんが演じるウィリアム・アダムス(三浦按針)はどんな人なのかについてでした。