【激レアさん】インドで過酷なドリブル旅をした萩原望さんとは?

サッカーとボール
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8月18日放送の激レアさんを連れてきたに、『サッカーボールを蹴って2000キロ、インドで過酷なドリブル旅をした方』が紹介されています。

紹介されている方は萩原望さんだと思われます。

今年2025年5月ニュースなどで取り上げられていますので、ご存知な方も多いのではないでしょうか?

今回は萩原さん経歴インドで過酷な旅に挑んだ理由について触れています。

番組内容と相違があるかもしれません

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目次

1. 萩原望さんの経歴

引用元/@ishihara_tks Xより

萩原望さんの経歴について簡潔に記載しておきます。

*萩原望さんの経歴

基本情報

  • 名前: 萩原望(はぎはら のぞむ
  • 生年: 1993年生まれ
  • 年齢: 31歳?か32歳?
  • 出身: 岡山県倉敷市
  • 現職: 一般社団法人FC Nono代表、外資系会計監査法人(EY)インドオフィス勤

サッカー経歴

  • 3歳: サッカーを開始
  • 小学時代: 岡山県大会優勝、全国大会出場、ナショナルトレセンに選出
  • 中学時代: 街クラブ「サウーディFC」に所属し個人技を磨く
  • 2009年: 大分県の高校に進学、Jリーグ・大分トリニータのユースチーム(U-18)に加入
  • 高校時代: 2年生で副キャプテン、3年生でキャプテンを務める
  • 2012年: 立命館大学に進学、体育会サッカー部で副キャプテンとして活動

職歴

  • 2016年: 立命館大学卒業後、トヨタ自動車株式会社に入社
  • 2019年: 3年半後にトヨタ自動車を退職、国際協力への思いから転職を決意
  • 2020年: 京都の国際NGO「NICCO」に入局
  • 2021年3月: インド・ビハール州・ブッダガヤに派遣、農村開発プログラムに従事
  • 2021年6月: サッカーアカデミー「FC Nono」を設立
  • 2022年: 外資系会計監査法人アーンスト・アンド・ヤング(EY)インドオフィスに転職

萩原望はぎはらのぞむさんは、1993年岡山県倉敷市生まれ3歳からサッカーを始めまています。

中学卒業後大分県高校進学し、Jリーグ・大分トリニータ育成組織サッカー打ち込みましたが、トップチームへの昇格果たせませんでした。

その後、立命館大学進学し、サッカー続ける傍ら不登校生徒支援するボランティア活動にも取り組んでいます。


大学卒業後萩原さんトヨタ自動車入社しましたが、3年半後退職し、国際協力関心持つようになりました。

2019年には京都市NGO参加し、2021年にはビハール州農業支援ボランティアとして派遣されています。

現地ではサッカーチーム「FC Nono」設立され、現在は、英系会計事務所働きながら、「FC Nono」の運営続けておられるようです。

2. 萩原望さんがインドでの過酷なドリブル旅に挑んだ理由

インド イメージ

2025年5月15日萩原さん無事ニューデリー到達し、約2000キロドリブル完走しました。

この挑戦は、ギネス世界記録申請される予定で、これまでの記録大幅更新することが期待されているようです。

彼は「痛みに満ちた長い旅だったが、挑戦する喜びを証明できた」と語り、子どもたちに手本を示すことができたことに満足感を示しました。

萩原望さんは、インドでの過酷ドリブル旅挑んだ理由について、以下にあります。

1. 子どもたちへのメッセージ
2. 社会問題への意識喚起
3. FC Nonoの活動

それぞれについて、触れます。

萩原さんは、挑戦通じて「努力は報われる」というメッセージ子どもたちに伝えたいと考えていました。

に、貧困教育問題直面している子どもたちに、挑戦することの重要性を示すことを目的としています。

インドでは男女差別貧困といった社会問題根強く残っています。

萩原さんは、サッカー通じてこれらの問題する意識高め女性地位向上重要性訴えることを目指しています。

萩原さんは、「FC Nono」という団体代表務めており、サッカー通じインド社会問題解決取り組んでいます。

組織知名度上げより多くの支援を得ること活動拡大させることも理由の1つです。

また、ギネス世界記録への挑戦として、既存記録337km大幅更新する2000km挑戦することで、このドリブル旅は、彼の活動一環として位置づけられています。

因みに、萩原さんがインド子どもたちサッカー教え始めたきっかけは、2021年農業支援ボランティアとしてビハール州ブッダガヤ活動していた余暇ボール蹴っている物乞い少年近づいてきたことでした。

一緒サッカーやらないか誘うと、少年即答参加し、友達連れてきたことFC Nono」設立きっかけとなっています。

最後に萩原さんが、過酷なドリブル旅に挑んだ期間距離ルートなどの詳細を簡潔に記載しておきます。

*萩原さんびチャレンジ詳細
  • 期間: 2025年3月3日〜5月15日(74日間

  • 距離: 約2000km

  • ルート: コルカタの日本総領事館スタート → ニューデリーの在インド日本大使館ゴール

  • 経由地: 西ベンガル州、ジャールカンド州、ビハール州、ウッタル・プラデーシュ州

萩原さんはチャレンジ道中でも活動していたようです。

その活動は、各地農村サッカーワークショップ開催したり、学校講演を行ったり、UNICEF警察などを訪問したりと、多岐にわたります。

パナソニックKeringといった企業での講演多数こなしていました。

道中40度超える日もあり、食中毒などとも闘っていたようです。

これだけの社会貢献をされている萩原さんには頭が下がりますね。

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*参考元URL
読売新聞https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20250227-OYO1T50015/
IIBChttps://www.iibc-global.org/ghrd/frontline/23.html
山陽新聞https://www.sanyonews.jp/article/1724618
立命館大学https://www.ritsumei.ac.jp/news/detail/?id=2646
FC Nonohttps://www.fcnono.com/founder
FC Nonohttps://www.fcnono.com/post/20250527
FC Nonohttps://www.fcnono.com/post/20250426

まとめ

番組に出演したと思われる萩原望さんについてでした。

萩原さんの挑戦は、個人的記録達成のためではなくインド貧困苦しむ子どもたち希望勇気を与え、社会問題の解決寄与するという明確使命感を持って活動されています。

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この記事を書いた人

どうも初めましてマサと申します。岡山県在住の猫好きな50代のオッサンです。よろしくお願いします。
  *星座:牡牛座

  *血液型:わかりません

  *趣味:ゲーム:読書

     :ウォーキング

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