石破茂氏の政治家としての原点とは? 父は県知事、祖父は農家出身の村長というルーツ

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石破茂氏政治家としての原点は、家族背景深く根ざしています。

彼の石破二朗氏鳥取県知事を務めた政治家であり、祖父石破市造いしば いちぞう農家出身村長務めた人物です。

このような家系は、石破氏政治的信念活動大きな影響を与えています。

今回は、石破氏の政治家としての原点影響を与えた親族大物政治家などについて触れていきます。

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目次

1. 石破茂氏の家族ルーツについて

引用元/@SATOROTUS Xより

石破茂氏の家族ルーツについて、3人の親族を取り上げます。

1. 父親・石破二朗氏
2. 祖父・石破市造氏
3. 母方の祖父・金森太郎氏

1-1. 父親・石破二朗氏について

引用元/@KLJ6EEVPabBaMT8 Xより

*石破二朗氏の経歴
  • 出身:鳥取県八頭郡大御門村
       現在の八頭町

  • 経歴: 東京帝国大学法学部卒業
       建設省官僚
       鳥取県知事
       1958~1974年16年間4期
      参議院議員
       1974年7月~1981年9月
      自治大臣
        (1980年7月~12月)

  • 功績:鳥取県の発展に大きく貢献し、「道路の神様」と呼ばれ、鳥取駅付近に銅像が建てられている

石破二朗氏1908年明治41年)に鳥取県の貧しい農家に生まれました。

彼は幼少期から勉学に励み、東京帝国大学法学部を卒業後内務省入省官僚としてのキャリアスタートさせています。

戦後、彼は内務省キャリア積みつつ政治家としての歩み始めます。

1958年には、鳥取県知事当選し、1958年から1974年までその職を務めました。

知事としては、農業振興教育の充実インフラ整備尽力し、県民からの信頼得ていました。

1974年2月には、鳥取県知事辞任し、同年7月に行われた参議院議員で当選します。

以来、自民党要職歴任し、自治大臣まで務めました。

二朗氏の人柄は、清貧努力の人であり、故郷愛着も持ち、義理人情に厚い人物であるようです。

また、農本思想をもち、儒教精神裏打ちされたその人柄は、質実剛健清廉潔白だと評価されています。

鳥取県では、その多大功績から、二朗氏銅像が建っているほどです。

1-2. 祖父・石破市造氏について

*石破市造氏の経歴
  • 職業:農家出身

  • 政治経歴:鳥取県八頭郡大御門村の村長を務めた

  • 背景:代々農業を営む家系で、地域の小さな村(大御門村)の村長として地域に貢献

石破市造氏は、1874年明治7年)に鳥取県八東郡大御門村大字殿現在の八頭町)で生まれました。

彼は農家出身でありながら村長務めた人物で、地域社会に根ざしたリーダーシップを発揮しています。

20歳の頃には村役場に勤めており、34歳頃大御門村長就任しました。

また、若い頃には山を開拓して「二十世紀梨」「御所柿ごしょがき)」などを栽培しつつ、養蚕もされていたようですが、どれも成功とまではいかなかったようです。

市造氏は、この成功とまではいかなかった経緯を自身が十分な学校教育を受けていなかったと振り返ったようです。

彼は高等小学校卒業後家業農業従事していました。

つまり、市造氏高等小学校卒業した学歴しかないということになります。

ただ、明治時代農業技術進歩していなかったこともあり、一概当時学識農業栽培上手くいくとは限らないかもしれません。

彼は自身が十分な学校教育を受けていなかったとの自覚からか、子供たちの教育には熱心子煩悩となっていました。

市造氏は、自身英語講師した内容筆記し、講義録として勉強していたようです。

この熱心な勉強に取り組んだ結果が、やがて政治の道への歩みとなったのかもしれません。

1-3. 母方の祖父・金森太郎氏について

石破茂氏の母方の祖父 金森太郎かなもり たろうについても触れておきます。

*金森太郎氏の経歴
  • 第25代 山形県知事
    1934~1936年

  • 経歴: 東京帝国大学法科大学卒業
       大阪府警部長
       徳島県知事
       山形県知事
       東北興業副総裁
       樺太開発副総裁
      

  • 血筋:父は宗教家・金森通倫
      熊本バンドのメンバー

石破茂氏の和子氏)は、金森太郎氏に持ちます。

金森太郎氏1888年明治21年)に生まれ、内務省に入省した後、官僚としてのキャリアを築き、1933年から1934年まで徳島県知事を務め、その後に1934年から1936年まで山形県知事を務めました。

この短期間でなぜ徳島県知事山形県知事を務めたのかの経緯不明です。

知事職退いた後は、東北興業副総裁樺太開発副総裁を歴任しています。

一部では東北パルプ副社長東北船渠社長就任したのではないかとの情報もあるようです。

金森太郎氏は、父親金森通倫かなもり みちともという著名な牧師であり、教育公共サービスに対する強い信念を持っていたことが知られています。

家族政治教育分野影響力を持つ人物多く金森太郎氏自身もその伝統を受け継いでいます。

因みに、熊本バンド金森通倫2013年大河ドラマ『八重の桜』俳優柄本時生さんが演じていたのでご存知な方も多いのではないでしょうか?

2. 石破茂氏の政治家としての原点について

引用元/@shigeruishiba Xより

石破茂氏の政治家としての原点については、父・祖父、そして田中角栄元首相影響があると言えます。

それぞれについて触れます。

石破茂氏は、政治について父の二朗氏から次のように言われています。

二朗氏は息子に向けて『政治家はお前みたいに人のいい奴に務まる仕事ではない』と言われ、当初 茂氏政治家なるつもりはなかったそうです。

二朗氏は息子に向けて『人のいい奴』と言っていますから、当時の茂氏根が正直だったのかもしれません。

そんな息子政治携わることの力量危ぶんでいたとも読めるのではないでしょうか?

しかし、茂氏は父親政治する姿勢地域への貢献間近見て育ったことから、政治興味を持つきっかけにはなったと考えられます。

茂氏 二朗氏亡くなる以前は、三井住友銀行旧・三井銀行)に勤務しており、後を継ぐか躊躇していたかもしれませんが、ある大物政治家後押しから政治身を置くことになります。

農家出身から村長になった祖父・市造氏姿は、地域根ざした政治重要性を示していますが、その経緯茂氏伝わることはなかったでしょう。

おそらく、祖父市造氏については二朗氏から聞かされていると思われます。

そもそも石破茂氏は、祖父市造氏会ったこと一度もありません

茂氏が生まれた頃は、祖父の市造氏は亡くなっていました。

祖父の市造氏が亡くなったのは、1941年昭和16年)で茂氏生まれたのは1957年昭和32年)ですから、祖父が亡くなって16年後に誕生したということになります。

二朗氏49歳の頃生まれた子供ですから、生きている頃の祖父に会えなかったのも無理もないですね。

ただ、祖父経緯二朗氏から聞かされていると思われることから、石破茂氏の地方創生への関心農業政策への理解原点になったと考えられます。

田中角栄 銅像
画像元/写真AC:PhotoNetwork

石破茂氏は、田中角栄氏との出会い政治への転機となっています。

父の二朗氏1981年死去し、二朗氏と友人関係田中角栄氏葬儀委員長を務めました。

茂氏は、葬儀のお礼を伝えるため田中氏私邸訪問し、田中氏から『君が選挙に出るんだ』と強く背中押されます。

当時の茂氏は24歳参議院議員であり、まだ規定30歳ではないことから、直ぐに選挙に出られるわけではないと考えていたようです。

しかし、田中氏は『誰が参議院に出ろと言った、衆議院だ』と叩きつけて説得し、半ば強引に茂氏は政界入り決断しています。

茂氏は父の死後、政治家になるかどうか躊躇していた時期もありました。

それを見越した田中氏は、未来日本のために茂氏才能必要だと考え強く後押しをしたのかもしれません。

茂氏は田中氏から選挙区一軒一軒歩き回る基本を叩きこまれ、ドブ板選挙徹底指導を受けています。

また、アメリカとの対等政治姿勢田中氏の「対米自立」の考え方継承しているとも見られているようです。

これらの経緯から茂氏にとって田中角栄氏は、単なる政治の師ではなく政治家としての生き方哲学を教えた「もう一人の父」と表現されることがよくあります。

田中角栄氏との出会い無ければ石破茂氏政治家としての道を歩んでいなかったかもしれません。

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*参考元URLなど
Wikipedia石破茂「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」
Wikipedia石破二朗「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」
Wikipedia石破市造「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」
Wikipedia金森太郎「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」
レファレンス協同データベースhttps://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000032696
AERAhttps://dot.asahi.com/articles/-/239534?page=3

まとめ(石破茂氏の政治家としての原点)

*石破茂氏の政治家としての原点の形成
  1. 家族の政治的遺伝子:父方・母方ともに政治・行政に携わる家系

  2. 地域への愛着:祖父の村長経験や父から学んだ地域密着型政治

  3. 田中角栄氏からの政治指導:選挙の基本であるドブ板選挙の徹底指導

  4. 対等な政治姿勢:田中角栄氏の「対米自立」の考え方を継承

石破茂氏は1986年衆院選29歳という全国最年少初当選を果たし、田中角栄氏から学んだ「一軒一軒回る選挙手法5万4千軒訪問して当選を勝ち取りました。

これらの経緯から、石破茂氏の政治家としての原点は、農家出身の祖父から県知事まで務めた父親という政治的血筋と、田中角栄氏との運命的な出会い組み合わさって形成されたと言えるのではないでしょうか。

ただ、現在 総理大臣就任してからは客観的目線で見て、総理大臣という椅子政権固執しているとも、見えなくはありません

祖父教訓活かされると良いですね。

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この記事を書いた人

どうも初めましてマサと申します。岡山県在住の猫好きな50代のオッサンです。よろしくお願いします。
  *星座:牡牛座

  *血液型:わかりません

  *趣味:ゲーム:読書

     :ウォーキング

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