10月22日放送の世界の何だコレ!?ミステリーで、三重県津市にある謎の巨大地下空間が取り上げられています。
この空間は旧日本軍の軍需施設でもあるようです。
ただ、この施設はそれだけでなく、現在は放置されていますが、時代の流れで脚光を浴びていたことがあります。
今回はこれらについて簡単に触れます。
※番組の公式内容とは異なる解釈や情報が含まれる場合があります。視聴の際はご留意ください。
1. 謎の地下空間は、旧日本軍の地下軍需工場跡!(半田地区)
三重県津市の謎の地下空間は、太平洋戦争末期(1944年~1945年)に建設された地下軍需工場です。
当初から存在していた「磨き砂」の採掘坑道を転用・拡張して造られました。
具体的には、三菱重工業がプロペラを製造するために掘削した地下工場の一部とされています。
現地は三重県津市の半田地区です。
引用元/Googleマップより
所在地:〒514-0823 三重県津市半田 2860−1
現地のGoogleマップは、涼風荘という温泉旅館ですが、戦時中には三菱重工業が関与した地下工場の跡地に位置しており、現在はその一部を食堂として利用しています。
実はこの工場は三菱重工業を含めて、4つの地下軍需工場が建設されていました。
・津海軍工廠疎開地下工場
・三菱重工業第三発動機久居地下軍需工場
・愛知航空機津地下軍需工場
・住友金属工業プロペラ製造所半田地下軍需工場
これらの工場は、戦争末期に地下工場として設立され、主に航空機の部品やプロペラの製造を行っていました。
特に、津市半田地区は磨き砂の採掘地であり、その坑道を利用して地下工場が造られたため、これらの工場が設立される以前からこの地域には多くの坑道が存在しています。
津市に多くの謎の穴が点在するのはこのためです。
これらの工場はそれぞれの役割を果たし、戦争の激化に伴い重要な生産拠点となりました。
2. 地下施設の特徴について
太平洋戦争時の地下軍需工場の跡ということです。ライトがないと真っ暗なのでこれ以上はムリ。撤収 (@ 半田地下工場跡 in 津市, 三重県) https://t.co/sJDzeDycVx pic.twitter.com/LmGjrs0b87
— Jagar.Mogar (@JagarMogar) February 26, 2019
地下施設の特徴や、戦後に関与したとされる宗教団体について触れます。
2-1. 地下施設は、三層構造!
地下施設の特徴は、三層構造になっています。
- 1層目:短い地下壕のみ
- 2層目:コンクリート舗装や工作機械基礎が残る戦時中の地下工場跡
- 3層目:戦後に機械掘りで採掘された磨き砂採掘場
総延長は、約4kmにも及ぶ巨大な空間であり、天井高は場所にもよりますが6m程度です。
内部はコンクリート舗装、排水溝、工作機械の基礎が多数残存しています。
巨大な空間は、まるで迷路のような複雑な構造であり、これらの坑道は、戦争の遺構としても注目されています。
2-2. 寝仏像と宗教団体の関与について
戦後、この地下工場跡を奈良県生駒の信貴山(宗教団体)が宗教施設に転用しようと計画し、巨大な寝仏像を運び込みました。
所在地:〒514-0823 三重県津市半田
しかし、計画は途中で未成に終わり、寝仏像はそのまま放置され、現在もビニールシートに覆われた状態で山中に残っているとされているようです。
Googleマップの航空写真からも、その巨大な規模を確認することができます。
また、仏像の下部は空洞になっており、4~5m掘り下げられているとの情報があります。
地下施設の特徴については、番組でも調査されていますが、2022年に配信されていた「かん太の酷道クラブ」というYouTubeでも紹介されていました。
興味のある方は視聴してみてください。
*参考元/@kanta_・チャンネル |
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【戦争遺跡】B29の攻撃もかわした地下施設!まるで迷路でした😱三重県津市半田工場跡地 |
【戦争遺跡】地下深く…放置された謎の物体を発見!軍需工場地下3層目は天井崩落、浸水に壮絶な場所だった!2/3 |
【宗教遺跡】白骨に不法投棄!謎の宗教団体が放置した寝仏像の地下施設に潜入!最終章3/3 |
3. 美女の里と磨洞温泉 涼風荘について
とある週末
— 磨洞温泉涼風荘@3代目 (@ryoufu2001) October 18, 2025
御一行様のおなぁ〜り!!#涼風荘 #津温泉 #津貸切風呂 #津洞窟 #津珍スポット
22日放送 #なんだコレミステリー
村のおじさんとして登場するかも?w pic.twitter.com/pJzsCZyoT9
地下工場跡に関わりのある「美女の里」と磨洞温泉の「涼風荘」について、簡単に触れておきます。
3-1. 磨洞温泉 涼風荘
先ほども記載していますが、磨洞温泉の涼風荘は、戦後、地下工場跡を洞窟座敷のある温泉旅館として転用しました。
この温泉旅館の創業は、1962年(昭和37年)であり、現在も営業中で、洞窟風呂や洞窟座敷が体験できます。
3-2. 美女の里
「美女の里」は、かつては涼風荘と並んで2軒の洞窟座敷旅館でした。
涼風荘と同様に地下工場跡を観光施設に転用しましたが、1995年頃に廃業しています。
元本館跡は現在 水没しているようです。
過去に運営されていた当時は、照明に照らされた幻想的な地下空間で、観光バスが訪れるほど盛況だったという情報があります。
4. 地下施設の現在の状況について
地下施設の現在の状況について、触れておきます。
現在の地下施設は、戦争時の機械や設備は終戦後に米軍が接収調査し、既に撤去済みです。
多くの壕口は閉鎖されていますが、一部は開口しており進入可能な場所もあります。
地下の内部は戦後に磨き砂採掘が続けられ、その後放置されている区画も多いことから、落下の危険があります。
また、YouTubeの情報では放置されたリフトやボートなどが残されている箇所もあるようです。
因みに、涼風荘では、久居地下工場の一部を食堂に転用されていることから、安全に見学できるそうです。
三重県津市にある磨洞温泉涼風荘では、昔、磨き砂を掘っていた坑道跡を改造したお食事処があり、地底で鍋料理や網焼きが楽しめます。 pic.twitter.com/3hCLayVqBs
— 鹿取茂雄(よごれん) (@yogoren) February 21, 2022
地下壕の中で食事をすることもできるとのことですから、興味のある方は問い合わせてみてはいかがでしょうか。
5. 津市の磨き砂について
最後に磨き砂について、少し触れておきます。
何かと覚えることの多い火成岩の知識を詰め込みました。まずここに載っている内容を網羅できたら、基礎固めとしては十分です。「覚えようとしてるけどなかなか覚えられない…」という人は、一度何も見ず白紙に図を再現してみましょう。覚えられているところ、覚えられていないところが明確になります! pic.twitter.com/cNaGq70jcT
— ちーがくん|地学図解 (@spEarthScience) October 19, 2025
一般的には、凝灰岩質の砂が用いられます。
この地域では特有の火山ガラスを含む砂であり、精米時の研磨剤、洗剤、クレンザーのような用途で使用されていました。
昭和25年頃の最盛期には年間約2万トンも採取されており、この磨き砂の採掘坑道を軍が接収して地下工場に転用したとされています。
*参考元 | URL |
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涼風荘 | https://www.ryoufu.com/cave |
廃墟検索地図 | https://haikyo.info/s/10028.html |
FC2 Home | http://exploring66.blog.fc2.com/blog-entry-65.html |
聞きかじり美浜学 | https://mihamacco.net/mihamagaku.htm |
まとめ
この地下空間は、江戸時代からの磨き砂採掘→戦時中の軍需地下工場→戦後の観光施設(洞窟旅館)→放置という、非常に珍しい歴史の変遷を辿った場所と言えます。
現在は危険な状態で放置されており、専門家や番組スタッフ以外の探索は非常に危険です。
番組詳細については存じませんが、田中卓志隊長が「かつて経験したことのない不思議な空間」として紹介する予定とのことですから、この複雑な三層構造の巨大地下空間と謎の寝仏像がテーマになると思われます。