5月12日放送の大河ドラマ「光る君へ」の次会予告に高畑充希さん演じる藤原定子が刀を振りかざしたシーンが描かれていました。
何かしらの苦悩が感じられますね。
そこで史実では藤原定子が刀を構えた事があるのかが気になりましたので、長徳の変に繋がる花山法皇襲撃事件の経緯と襲撃事件後のドラマの定子と史実の定子との違いについて調べてみました。
因みに筆者はドラマの内容については知り得ていないので、ドラマの定子については憶測や推測で触れていきます。
※注、あくまで推測で、次回予告の内容に基づいて想定しています
・氏名 | 藤原定子 (ふじわら の さだこ/ていし) |
・誕生 | 貞元1年(976年) |
・崩御 | 長保2年12月16日 (1001年1月13日) |
・氏族 | 藤原氏 (北家・中関白家) |
・父親 | 藤原道隆 |
・母親 | 高階貴子 (たかしなの きし / たかこ) |
・配偶者 | 一条天皇(諱/懐仁親王) |
・入内 | 正暦元年1月25日 (990年2月23日) |
・子女 | 脩子内親王 敦康親王 媄子内親王 |
・身位 | 女御→皇后(中宮→皇后宮) |
・立后前位階 | 従四位下 |
・宮廷女房 | 清少納言 (せい しょうなごん) |
花山法皇襲撃事件の経緯
藤原定子は15歳で中関白家一族の繁栄のため、990年2月23日(旧暦、正暦元年1月25日)に宮中へ入内します。
8ヶ月後には中宮となっています。
父の藤原道隆が995年5月12日(旧暦、長徳元年4月10日)に亡くなり、ほどなく叔父の藤原道兼も亡くなっています。
後に叔父の藤原道長が右大臣となり、兄で内大臣であった藤原伊周(ふじわらの これちか)との関係が悪かった事は、大河ドラマと史実でも同じようです。
筆者はドラマ内容を知り得ていませんが、おそらく高畑充希さん演じる定子が刀を振りかざしたシーンに直結するのは長徳の変(花山法皇襲撃事件)が影響していると思われます。
ドラマ19話の『放たれた矢』で本郷奏多さん演じる火山院(上皇/法皇)に向けて伊周の弟 隆家を演じる竜星涼さんが矢を射かけていましたね。
史実では火山院に矢を射かけたのは伊周と隆家に仕えている従者でした。
ドラマでは隆家が火山院に矢を射かけていながら、当初は誰であるのかを把握していませんでしたよね。
史実でも火山院と認識して矢を射かけたのかは不明です。
ただ、、
四の君とは藤原儼子(ふじわら の たけこ)という女性で、花山院が天皇の頃に寵愛した女御の藤原忯子(ふじわら の よしこ)の妹でした。
大河ドラマ「光る君へ」では、井上咲楽さんが忯子を演じていて花山法皇が忯子を縛っていたのは、X(旧、Twitter)でも話題になっていましたよね。
花山院が忯子の妹の元へ通うのですから、姿もよく似ていたのかもしれません。
少し話が逸れましたが、、
三の君と四の君の屋敷が同じであるのは紛らわしいかぎりだったでしょうね。
この襲撃事件が発端で中関白家の権威は失墜していきます。
右大臣の藤原道長は、この件を利用して伊周と隆家らを左遷し、中宮の定子も宮中から遠ざけられます。
ドラマの藤原定子が刀を振りかざしたシーンについて
(花山法皇襲撃事件後の予告内容での推測)
先ほどにも記載しましたが、筆者はドラマ内容を知り得ていないので、高畑充希さん演じる定子が刀を振りかざしたシーンについては、あくまでも憶測や推測になります。
花山法皇襲撃事件後の次回予告を確認すると、、
おそらく罪を軽くしてはもらえなかったのではないでしょうか?
いくら花山院(上皇/法皇)が退位しているとはいえ、かつては天皇位に就いていた方を襲撃したわけですから、事は重大であり罪を軽くするなど到底無理な話かもしれません。
塩野瑛久さん演じる一条天皇と定子は仲睦まじい様子で良好な関係が築かれていましたが、この一件で関係がやや悪化してくことも予想できそうです。
また、、
清少納言が斉信の指示通りに定子を見限るのか、それとも女房の役職をお役御免になるのかは分かりませんが定子の元から離れていくこともありえそうです。
*藤原定子が刀を振りかざしたことについての想定
・良好な関係が築かれていた一条天皇との関係が悪化したのかも?
・信頼していた女房の清少納言が離れた?
・兄の伊周と弟の隆家が罪となり左遷されて中関白家の後ろ盾が無くなる
つまり、上記の想定から定子は様々なものを失ったことから自暴自棄となり、刀を振りかざしたのではないでしょうか?
実際のドラマ内容は分からないので、高畑充希さん演じる藤原定子がどんな心情で刀を振りかざしたのかが気になるところですね。
※あくまで憶測や推測で、予告内容に基づいて想定しましたので鵜吞みにはしないでください
史実の藤原定子について(花山法皇襲撃事件後の定子の行動)
花山法皇襲撃事件後に定子の行動についてウィキペディアによると、、
『二条宮では、4月24日に左遷の命を受けても病気だと偽り一向に出発しない兄・伊周と弟・隆家をかくまう。』
引用:藤原定子 生涯「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より
『ついに一条天皇より強制捜査の宣旨が下り、5月1日、二条宮を検非違使が捜査。』
『隆家は捕らえられ、伊周は出ていたが戻ってきて従う。』
『この日、定子は自ら鋏を取り落飾した。』
※一部分を抜粋しています
花山法皇襲撃事件後に定子の行動について見てみると、定子は二条宮におり、左遷を命じられた兄と弟を匿った記載があります。
罪は免れなかったようです。
そして、兄と弟は捕まり左遷地域へと送られます。
更に『この日、定子は自ら鋏を取り落飾した』とあります。
定子の場合、髪を切ることは他の意味合いも兼ねられている可能性もあります。
余談になりますが、推測で定子が髪を切ることの意味合いについて考えてみました。
・①政治的な圧力からの解放と心を落ち着かせるため
・②心の中で一条天皇を想い続けるため
(襲撃事件後に会うことができない天皇を想う)
・③罪滅ぼしのために仏の慈悲にすがった
(襲撃事件に関わって命を落としたものへの供養)
・④単に尼僧になるため
(俗世間の煩悩から離れて清らかな生活を送るため)
実際に定子が、落飾した意味合いは分かりませんが上記のような心情もあったのではないでしょうか?
※あくまでも推測です
この頃の定子は懐妊していたとの事ですので、身体的にも重苦しい心情とも言えます。
因みに、1年後の長徳3年4月には伊周らの罪を赦されており、6月には定子は宮中に再び戻っています。
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花山法皇襲撃事件後、ドラマの定子と史実の定子との違い
花山法皇襲撃事件後、ドラマの定子と史実の定子との違いについては、ドラマの具体的な内容は知り得ていないので先ほどの推測になります。
ドラマの定子は、様々なものを失ったことから自暴自棄となり、刀を振りかざしたのではないかと推測します。
史実の定子は左遷を命じられた兄と弟を匿い、一条天皇の命により兄と弟が捕まり左遷地域へと送られてから、自ら鋏を取り落飾します。
ドラマと史実で共通しているのは「兄と弟の左遷」と「刃物」を使っているところでしょうか。
史実では鋏(ハサミ)を使って落飾していますから、ドラマは意外にも刀を振りかざして周囲の側近や臣下を驚かせつつ、刀で自らの髪を切ったりする場合もあるかもしれません。
※あくまでも憶測や推測です
まとめ
【光る君へ】高畑充希さん演じる定子が刀を振りかざしたシーン:史実との違いについてでした。
長徳の変に繋がる花山法皇襲撃事件の経緯は、、
・兄 藤原伊周の嫉妬による勘違いが発端となり、定子にも影響を及ぼした!
ドラマの藤原定子が刀を振りかざしたシーンについて(花山法皇襲撃事件後の予告内容での推測)は、、
・良好な関係が築かれていた一条天皇との関係が悪化したのかも?
・信頼していた女房の清少納言が離れた?
・兄の伊周と弟の隆家が罪となり左遷されて中関白家の後ろ盾が無くなる
上記の想定から定子は様々なものを失ったことから自暴自棄となり、刀を振りかざしたのではないでしょうか?
史実の藤原定子について(花山法皇襲撃事件後の定子の行動)は、、
・定子は二条宮におり、左遷を命じられた兄と弟を匿った!
・一条天皇の命により、兄と弟は捕まり左遷地域へと送られた!
・定子は自ら鋏(ハサミ)を取り落飾した!
(出家かな?)
・1年後、伊周らの罪は赦されて、6月には定子は宮中に再び戻った!
花山法皇襲撃事件後、ドラマの定子と史実の定子との違いは、、
・史実の定子はドラマと違い、刀を抜き振りかざしてはいない!
・ドラマと史実で共通しているのは「兄と弟の左遷」と「刃物」を使っているところ!
(史実は落飾のために鋏を使用)
以上が微妙ながら、まとめたものです。
高畑充希さん演じる定子が、どんな心情で刀を抜いて振りかざすのかが見どころです。
※注、あくまで推測で、次回予告の内容に基づいて想定しましたので鵜吞みにはしないでください