5月7日放送「世界の何だコレ!?ミステリー」で、『吉野山の桜を消滅危機から救った未来を見据えたある人物』について取り上げられています。
番組で取り上げている人物と相違があるかもしれませんが、吉野山の桜の未来を見据えたある人物とは、林業家の土倉庄三郎(どぐら しょうざぶろう)氏ではないでしょうか?
日本の桜については、他にも関係している人物もおられますが、未来を見据えた人物というと彼ではないかと思います。
今回は、吉野山の桜の消滅危機や土倉庄三郎氏について簡潔に触れます。
1. 吉野山の桜の消滅危機とは?
江戸時代の頃の吉野山の桜は、参拝客の観光として賑わっていたようです。
観光地でサクラの苗を植えるのが流行っていたようですから、ビジネスとしての一面もあったと見られています。
この経緯でサクラも伐られることになりました。
さらに大阪商人が桜を買い取り、伐採する計画が持ち上がります。
伐採することで、薪を煮炊きや風呂・暖房などの日常生活向上のエネルギー源とし、計画していたようです。
それに待ったをかけたのが、土倉庄三郎氏です。
2. 吉野山の桜の消滅危機を救った土倉庄三郎氏とは?
何か岩壁のすごいところに文字が掘ってある🤩
— The first (@Thefirst4649) March 27, 2025
土倉庄三郎は吉野林業を発展させたりとか色々したので、奈良県の少なくとも吉野では結構な有名人です(たぶん…) pic.twitter.com/1n0bW11hAf
引用元/@Thefirst4649 Xより
土倉庄三郎氏は、1840年(天保11年)に大和国吉野郡大滝村(現在の奈良県吉野郡川上村大滝)で生まれた著名な林業家であり、日本の近代林業の礎を築いた人物です。
彼が行った経歴(業績)は次の通りです。
*土倉庄三郎氏の主な経歴(業績) |
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・流下木材の口銭徴収反対運動 |
・吉野川の水路改修 |
・東熊野街道の開設 |
・吉野川沿いの道路改修 |
・吉野鉄道の設立に関与 |
・静岡県天竜川流域造林 |
・群馬県伊香保造林 |
・兵庫県但馬地方造林 |
・滋賀県西浅井町造林 |
・奈良公園の森林改良 |
林業以外に、各地域で道路作りや治水、鉄道にも関与しているようです。
これらの業績において、内閣総理大臣も務めた山縣有朋(やまがた ありとも)から「樹喜王(ききおう)」の祝号が贈られています。
作家の田中淳夫氏の書籍をご存知の方は、「山林王」と認識しているかもしれません。
土倉庄三郎氏が吉野山の桜の消滅危機を救ったのは、大阪商人が桜を買い取り、伐採計画が持ち上がったことがきっかけです。
古来からの桜の名所吉野山
— にいがたさくら@小話休止中 (@monkey_across) July 20, 2023
だが明治初期、その桜は危機に瀕していた
廃仏毀釈によって荒廃し、観光客が激減した吉野では、桜を薪として売る計画が進められていたからだ
それを私財で買い戻したのが林業王・土倉庄三郎だ
「いずれ日本には外国人観光客が来る。その時のために吉野山の桜は残したい」 pic.twitter.com/Ka5XwfN8CY
引用元/@monkey_across Xより
※明治時代初期の500円の価値は、現在で約1000万円相当や2000万円以上と時期により、さまざまです
なぜ阻止したのかについては、『桜は日本の象徴であり、未来に向けて残すべきものだ』と考え、桜を守ることが文化的な意義を持つと信じていました。
この行動により、吉野山の桜は現在も美しく咲き誇り、観光名所としての地位を保っています。
ただ、現代の吉野山の桜は老木期や寄生キノコによる被害で十数年前から衰退しているということで、地域住民や団体が協力して、桜の管理や病気対策に取り組んでいるようです。
今後の未来に向けて残し続けてほしいですね。
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*参考元 | URLなど |
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Yahoo!ニュース | https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/9117dd98608fd98ac8389fbeb2a82d76dc5982f2 |
ウィキペディア | 土倉庄三郎「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」 |
まとめ
番組での『吉野山の桜を消滅危機から救った未来を見据えたある人物』についてでした。
おそらく、取り上げられている人物は土倉庄三郎氏ではないでしょうか?
土倉庄三郎氏の功績は、単なる林業の発展にとどまらず、日本文化の保全にも寄与した点で特筆されます。
彼の先見の明と公共心は、今なお多くの人々に影響を与え続けています。
※番組内容で取り上げられている人物と相違があるかもしれません