和泉元彌さんと言えば狂言師であることはご存知な方は多いと思います。
一時期、メディアで見かけていない事もあったかもしれませんが、チョコレートプラネットの長田庄平さんが元彌さんのモノマネをされていたことで久しぶりに思い出した方もおられたのではないでしょうか。
今回は過去にあった騒動がどうなったのかや現在は何をされているのかについて触れていきます。
*和泉元彌さんプロフィール
・本名 | 山脇元彌 (やまわき もとひさ) |
・生年月日 | 1974年6月4日 (昭和49年) |
・年齢 | 49歳 (2024年5月時点) |
・出生地 | 岐阜県 |
・出身地 | 東京都 |
・学歴 | 青山学院 ※幼稚園、初等部、中等部、高等部、大学まで青山学院。 |
・職業 | 狂言師 俳優 タレント |
和泉流宗家継承騒動はどうなったの?
和泉元彌さんは2001年に大河ドラマ「北条時宗」の主人公を演じたことで、世の中に広く知れ渡ったのだと思われます。
筆者は当時、元彌さんが大河ドラマを演じたことで狂言師をされていたことも知りました。
現在は狂言師と聞くと野村萬斎さんを思い浮かべる人が多いかもしれませんね。
和泉流宗家継承騒動についてですが、2002年頃のテレビ報道で筆者は知りました。
和泉流宗家継承の和泉流二十世宗家について、、
、、と協会側が主張していました。
和泉元彌さん側は協会側の主張に反発し、、
、、と主張されていました。
和泉元彌さんの家系は養子縁組もありましたが、代々 狂言方能楽師の家柄です。
この騒動は2002年頃の事かと筆者は思っていましたが、事の発端は1995年(平成7年)からでした。
公演から5日後に急遽「宗家襲名披露公演」として和泉流宗家を名乗りました。
倒れてから8日後の6月30日に和泉流十九世宗家であった和泉元秀さんは亡くなります。
以上が和泉流二十世宗家を名乗った事の顛末ですが、これに能楽協会は反発し宗家として認めないと主張したのです。
元彌さんが和泉流二十世宗家を名乗った事の何がいけなかったのかと言うと、、
・正式に後見人を立てることや手続きがないこと
・能楽宗家会の了承を得ていない
、、などが挙げられています。
勝手な自己都合で行われたと見なされたようですね。
和泉元秀さんが亡くなってから騒動後に和泉流職分会というものが結成されました。
当時の会員53人の中から48人の方が元彌さんの和泉流二十世宗家継承に反対しています。
しかし、協会側も反対だけでなく、妥協案も出されていました。
その妥協案は、、
『芸が未熟なので、先輩に学んで実力をつけてからではどうか』
というものでした。
会員の方々全員が「芸が未熟」と思われたのかは存じませんが元彌さんからすると、屈辱だったかもしれないですね。
元彌さんは、この妥協案を拒否しました。
そして、宗家騒動は2002年3月に協会に寄り添わない元彌さんに対して除名申請しました。
除名した理由は、、
・公演のドタキャン
・遅刻
・協会批判など
上記のことから『狂言の伝統と秩序を乱している』と見られたようですね。
後に除名よりも重い処分で退会命令の処分も下されています。
元彌さんは不当な退会処分として東京地裁に提訴していますが、最高裁は元彌さんの請求を棄却したことから能楽協会退会が決定しました。
結局、和泉流宗家継承騒動はどうなったのかというと、、
ただ、、
野村又三郎 十二世は2007年(平成19年)12月12日にお亡くなりになり、野村又三郎の名跡は息子さんの十四世に引き継がれているので、和泉流宗家は和泉流職分会の会員のどなたかが預かっているのかもしれません。
この辺りの経緯については詳細が不明です。
これらの経緯から、元彌さんは能楽協会関連の舞台に立つことはできないわけですが、自身が運営している「株式会社 和泉宗家」での自主公演はできるようですね。
また、自身が名乗っている「和泉流二十世宗家」は法的拘束力はないとの事なので、名乗れるようです。
能楽協会などの団体から認められていないだけなので、自称ということになりますかね?
和泉元彌さんは今何をしている?
和泉元彌さんは、和泉流宗家継承騒動で能楽協会関連の舞台に立つことはできないにしても、自社での自主公演や俳優・タレントなどの活動は続けられています。
特に驚いたのは2005年11月にプロレスデビューしたことです。
横浜アリーナで開催されていたので、記憶に残っている人が多いのではないでしょうか。
ヘリコプターからきらびやかな衣装で登場していますし、印象が強く残る元彌さんの母である節子さんの応援団「セッチー鬼瓦軍団」も登場していました。
、、と仰っていましたが、プロレスと狂言能楽に何の関係があるのだろうと不思議に感じながらも筆者はテレビ報道で見ていました。
当時はスマホやTwitterなどのSNSが無かった時代なので元彌さんがプロレスデビューした事について、どのように世間で感じていたかは存じませんがプロレスと狂言能楽という組み合わせを不思議に感じていたのではないでしょうか。
プロレスは後にどうなったかは詳細不明です。
元彌さんは、2005年以降は舞台、映画、テレビドラマと出演していますが、テレビドラマでは配役や単発なものが目立っていたのでテレビメディアでの活躍は少なくなっていたと個人的に感じます。
しかし、2018年頃にお笑いコンビのチョコレートプラネット 長田庄平さんが元彌さんのモノマネが似ていたことから、徐々に元彌さんがテレビメディアで再び見かけるようになったと感じます。
本当に似てる……
— 和泉元彌 (@izumimotoya) March 30, 2024
似てる❓#日テレ#金のツカミ
4月2日21:00〜#チョコプラ#長田 くん#奇跡の瞬間#和解 pic.twitter.com/sTOBhd5XPW
引用:和泉元彌 X(旧Twitter)より
いつ放送していたかは忘れましたが、チョコプラの長田庄平さんが報道番組「脱力タイムズ」に出演していた時にVTRで長田さんが出ているはずが、本物の元彌さん自身が出ていて長田さんが出ているとして周囲を笑わせていました。
チョコレートプラネットの長田庄平さんが自身のモノマネをしていることについて、最近 元彌さんは文春で次のように述べられています。
『YouTubeを観てみたんですけど「そうか、こう見えてるんだ、皆さんが思う狂言のイメージってこういうことなのかな」って思いました。でも僕から見たら「構え」が違うし、抑揚も違う。これ和泉流じゃないなというのはすぐ感じたんです。だから、似てる似てないで言ったら顔と雰囲気は似てるけれど、和泉元彌のマネっていうなら和泉流宗家の型でモノマネをやってもらわないと、とは思っていました。』
引用:ヤフーニュース5/11(土)配信より/https://news.yahoo.co.jp/articles/ff505bf5c7779925736afa8b4f22258723dd29c2
元彌さんは長田庄平さんのモノマネを客観的に見て、顔と雰囲気は似ているとしつつも、和泉流宗家の型ではないと見ていますね。
細かな狂言の表現としては「構え」や「抑揚」も違うと指摘しています。
チョコプラが大ブレイクして1年経過した頃に稽古指導を兼ねて元彌さんは長田庄平さんと番組で共演を果たしています。
稽古指導では長田さんも狂言を面白く見せたい動きがあるとの事で元彌さんに了承を求めていましたが、どちらとでもとれる態度で『勝手にすれば』と言って笑っておられたようです。
長田さんのモノマネを公認するかについては『正式に非公認』と元彌さんは笑って答えたそうです。
最近で元彌さんをテレビ番組で見かけたのは次の通りです。
・NHK「育休刑事」最終話
(2023年6月20日)
・フジテレビ系「ぽかぽか」
(2023年11月29日)
・日テレ「金のツカミ」
(2024年4月?日)
・フジテレビ系「呼び出し先生タナカ」
(2024年5月13日)
昨年に出ていたフジテレビ系「ぽかぽか」では髪型がロン毛になりイメージの変わった姿がネット上で話題となっていましたね。
能楽協会、能楽宗家会、和泉流職分会などからは現在でも正式に「和泉流二十世宗家」と認められていませんが、自社の自主公演では名乗っており、俳優やタレントとして活動しているわけです。
ごく最近の活動では、、
#拡散希望#能登半島地震 #復興 祈願
— 和泉元彌 (@izumimotoya) May 3, 2024
和泉流宗家チャリティー狂言会
を東京は三田の#弘法寺 さまで
開催させていただきます。
5月8日(水)
平日ですが、午後6時開演ですので、復興にお心を寄せていただける方は是非❗️是非‼️#石川県 #能登地方 の… pic.twitter.com/FmkRSgCO8N
引用:和泉元彌 X(旧Twitter)より
1月に起きた能登半島地震のための復興祈願として、港区にある弘法寺で和泉流宗家チャリティー狂言会が開かれていました。
家族・親族で良い行いをされていますね。
元彌さんは以前にも復興祈願でチャリティー狂言会を開いていたことがあります。
2008年(平成20年)5月12日に中国で起きた四川大地震でも1ヶ月後の6月15日に四川大地震チャリティーとして狂言会が行われていました。
最近は特に地震災害が多いですから、今後も継続してほしいですね。
まとめ
和泉元彌さんが今何をしているのかや過去の和泉流宗家騒動はどうなったのかについてでした。
現在、和泉流宗家騒動はどうなったのかについては、、
・能楽協会、能楽宗家会、和泉流職分会などから和泉流二十世宗家と認められていない!
・和泉流職分会の長老であった野村又三郎 十二世が和泉流宗家預かりとなっている!
※野村又三郎 十二世は2007年12月12日にお亡くなりになっているので、和泉流職分会の会員のどなたかが預かっているのかもしれません。
和泉元彌さんは今何をしているかについては、、
・2018年頃にチョコプラの長田庄平さんが元彌さんのモノマネが似ていたことから、徐々に元彌さんがテレビメディアで再び見かけるようになった!
・昨年(2023年)から髪型がロン毛になりイメージが変わった姿になった!
・ごく最近の活動では能登半島地震のための復興祈願として弘法寺で和泉流宗家チャリティー狂言会が開かれていた!
(2024年5月8日頃)
以上がまとめたものです。
元彌さんは現在、能楽協会関連の舞台に立つことはできないにしても、自社での自主公演や俳優・タレントなどの活動は続けています。