加藤勝信(かとう かつのぶ)氏は 自民党の議員であり、2024年9月の総裁選にも名乗りを上げていたのでご存知ではないでしょうか。
加藤氏について検索すると、中間あたりに『なぜ岡山』というキーワードがあります。
この検索意図について考慮すると、意外にも政治に関心がない人には加藤氏の事情を知らない人もいるのではないかと思いました。
彼は東京都出身でありながら、岡山選挙区で当選した議員です。
『なぜ岡山』なのかというと、その答えは、彼が婿養子として迎えられた家庭の事情にあります。
この記事では、加藤氏が岡山に根ざすまでの経緯について迫ります。
彼の歩みを知ることで、なぜ彼が現在の地位にあるのかが分かることでしょう。
興味を引かれた方は、ぜひ続きをお読みください。
1. 加藤勝信氏の生まれ育った環境
衆議院が解散されました!#かつのぶフレーム pic.twitter.com/Y2MSAsE2rn
— 加藤勝信 (@KatsunobuKato1) October 9, 2024
加藤勝信氏は1955年(昭和30年)11月22日に東京都で生まれました。
旧姓は室崎という名前です。
勝信氏の父は室崎勝聰氏という方で、日野自動車の工業社員でした。
後に取締役の副社長に就任していた経歴があります。
筆者は加藤勝信氏の生まれ育った環境が、政治に対する関心に どう結びついていったのかの経緯については存じません。
これは筆者の憶測ですが、勝信氏の祖父にも影響があるのではないかと見ています。
勝信氏の祖父は 室崎勝造氏という方で実業界や政界で活躍した人物です。
室崎勝造氏の実業界や政界での活動は次の通りです。
*実業界の活動
・漁業
・水産物缶詰加工業
・窯業
・冷凍倉庫業
*政界の活動
・島根県議会 議長
勝信氏の祖父の経歴には驚かされます!
おそらくですが、特に祖父の実業界や政界での活躍を幼少期から両親に聞いていたのではないでしょうか?
筆者は勝信氏が政治に関心をもった経緯は祖父の活躍も影響しているのではないかと見ています。
2. 加藤勝信氏の学歴
加藤勝信氏の学歴についてですが、学生時代は多くの挫折を経験されています。
情報によると高校試験は中高一貫校を受けましたが不合格であり、一般受験に変更したとの事です。
更に、大学受験のために浪人や政界に携わった頃も2度の落選を経験しているので、意外と学生時の受験や政界でも苦労人な一面もあります。
勝信氏の学歴で通学していた小学校は不明ですが、中学、高校、大学についてはウィキペディア情報に記載があります。
①中学校は 東京学芸大学附属小金井中学校
・所在地:〒184-0015 東京都小金井市貫井北町4丁目1−1
中学校は小金井市に所在する「東京学芸大学附属小金井中学校」に通っています。
校名通りの大学の附属中学校で、特徴的なのはキャンパス内にあるということです。
こちらの中学校では教育実習が多い研究機関であり、事前学習から事後レポートが課されるという課程のようなものがあります。
②高校は 東京都立大泉高等学校
高校は先ほど記載しましたが、中高一貫校を受けましたが不合格となり、一般受験を受けることになります。
不合格通知を受けた中高一貫校は、どこの高校かは存じませんが、おそらく私立高校の試験を受けたのではないでしょうか?
勝信氏が一般受験から合格通知を受けて入学した高校は、練馬区 東大泉に所在する中高一貫校の公立学校「東京都立大泉高等学校」に通っています。
・所在地:〒178-0063 東京都練馬区東大泉5丁目3−1
こちらの高校の偏差値は60あたりなので、かなり高いと言えます。
50年前の偏差値については情報がないので存じませんが、現在と大差ないのではないでしょうか。
③大学は 東京大学経済学部
・所在地:〒113-0033 東京都文京区本郷7丁目3−1
大学は文京区に所在する「東京大学経済学部」に通っていました。
経済学部の偏差値は現在65〜83です。
こちらも50年前の偏差値については情報がないので存じませんが、現在と大差ないと思われます。
勝信氏は大学で政策形成や経済に関する知識を得て、卒業後は現在の財務省と金融庁の前身にあたる大蔵省に入省し、キャリアを積んでいくことになるのです。
3. 加藤勝信氏の国家公務員としてのキャリア
勝信氏は大学卒業後の1979年(昭和54年)4月に大蔵省に入省し、国家公務員としてのキャリアをスタートさせました。
国家公務員としてのキャリアは次の通りです。
・郵政省宇宙通信企画課へ出向
↓
・倉吉税務署署長
↓
・渡辺秀央内閣官房副長官秘書官
↓
・主計局主査
(労働予算担当)
↓
・主計局主査
(防衛予算担当)
↓
・加藤六月 農林水産大臣 秘書官
↓
・大蔵省大臣官房企画官
上記のように徐々にキャリアを積んでいきました。
勝信氏は、1995年(平成7年)に大蔵省を退官します。
大蔵省退官後は加藤六月氏の秘書を務めました。
大蔵省のキャリアの中で出会った加藤六月氏は、勝信氏にとって現在の政治に大きく影響を受けた存在であり、六月氏の地盤を引き継ぐ形で後に政治活動を展開していくことになるのです。
余談ですが、加藤六月氏は後継ぎが無く、婿養子を迎えるのは官僚からと決めていたという話もあります。
4. なぜ加藤勝信氏は岡山に?義父 加藤六月氏の婿養子としての歩み!
加藤六月先生、天界から勝信さんの挑戦にお力添えをお願いします pic.twitter.com/gjgZkoicxT
— 政局太郎(新)@加藤さんを総理総裁に (@kamei_katsunobu) September 12, 2024
引用元/@kamei_katsunobu Xより
なぜ 加藤勝信氏が岡山にというと、既に義父 加藤六月氏の地盤を引き継いでいくということはお分かりですよね!
義父にあたる加藤六月氏と大蔵省の秘書官から出会ったことは先ほど触れましたが、具体的にいつ頃から親交があったのかは不明です。
勝信氏は後に 加藤六月氏の娘と結婚することになるのですが、このあたりの事情は少々複雑なものがあります。
「周子」という名前について何と読むのかは分りません。
「周子」は「ちかこ、しゅうこ、のりこ、かねこ」などと読めますから、この中にあるのかもしれません。
*実は勝信氏が結婚する お相手は元々は六月氏の長女のはずだった!
安倍元総理が加藤さんに総裁選で高市早苗氏を、と仰った理由
— 瀬尾友子 (@SeoTomoko3) August 3, 2024
①保守を背負ってくれる
②G7で女性のリーダー
③反原発の人が日本のリーダーになったら日本の経済がめちゃくちゃになる❗
【右向け右】第533回 – 加藤康子・産業遺産情報センター長 × 花田紀凱(プレビュー版) https://t.co/PYbpQxdUBc pic.twitter.com/EhVyjIViyi
引用元/@SeoTomoko3 Xより
六月氏の長女は加藤康子(かとう こうこ)さんという方で、意外な経歴を持っています。
康子さんの職業は都市経済研究家で都市の経済現象を研究し、考察するという特殊なものです。
職業の他にも異色な経歴があります。
それは次の通りです。
*加藤康子さんの主な経歴
・慶應義塾大学文学部国文学専攻
(1981年卒業)
・ハーバード大学ケネディ・スクール政治行政大学院
(1989年/修士課程修了)
・産業遺産情報センター
(センター長)
・一般財団法人産業遺産国民会議
(専務理事)
・筑波大学客員教授
・安倍晋三内閣の内閣官房参与
(第3次から第4次第1次まで)
これだけの事を成されているので、とてつもない才女ですね。
康子さんは婚約破棄した後はハーバード大学へ留学に出ていきます。
この経緯を見ていくと憶測ですが、康子さんは婚約に積極的ではなく、六月氏に強制的に命じられたのではないでしょうか?
これだけの才女ですから、進みたい道があってもおかしくはない気もします。
周子さんと結婚したことで、婿養子となり加藤家の一員として六月氏の選挙区地盤を引き継いでいくのです。
義父の六月氏は自民党に所属していた時代を含めると、所属政党を4度も代えています。
六月氏は自民党時代に中曽根内閣、新生党時代に羽田内閣と農林水産大臣を務めていました。
特に自民党時代は安倍晋三元首相の父である安倍晋太郎氏とは厚い信頼があり、この縁からの結びつきが婿養子の勝信氏にも良い影響を与えていることは、安倍内閣で閣僚として重責を担っていることからも分かるでしょう。
この記事はウィキペディア情報を参考にしています。
*参考サイト
・加藤勝信「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より
・加藤六月「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より
・加藤康子「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より
5. まとめ(加藤勝信氏の現在までを含めて)
勝信氏は旧姓は室崎であり、婿養子として加藤家に入りました。
勝信氏は、義父 六月氏の地盤であった岡山県の第5区から選出された衆議院議員です。
(2003年/第43回)
※比例中国ブロックで初当選
今後の新たな選挙区では第3区となります。
過去に参議院選挙と衆議院総選挙で2度の落選を経験しました。
(1998年/第18回参議院選挙)
(2000年/第42回衆議院議員総選挙)
勝信氏は自民党に所属してから、厚生労働大臣や内閣官房長官などの要職を歴任しています。
(現 石橋内閣では財務大臣など)
婿養子となってからは岡山を拠点に政治活動をしており、地域の発展に貢献。
初当選を含めて現在までに7回の当選を果たしており、地元での支持層が厚いです。
上記が、加藤勝信氏の現在までを含めて まとめたものです。
2024年10月9日に衆議院解散となりました。
加藤勝信氏は次で8回目の当選を目指しています。
今回は10増10減による選挙で岡山選挙区は1減となりますから、どの候補者も厳しい選挙となるかもしれません。
以上、「なぜ加藤勝信氏は岡山に?婿養子としての歩み!」についてでした。