11月19日放送の番組で、香川県のうどんが有名になった理由に55年前の大阪万博と、ある寿司店の影響があったと取り上げられているようです。
今回は、ある寿司店と香川県のうどんが有名になった経緯について簡単に触れます。
※番組内容と相違があるかもしれません
1. 香川県のうどんが有名になった理由と大阪万博の真実について
香川県のうどんと大阪万博の真実について、非常に興味深い話があります。
時は、1970年(昭和45年)の大阪万博で、讃岐うどんを全国に広めたのは、実は東京のお寿司屋さん「京樽」でした!
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— 株式会社 京樽(公式) (@sushi_kyotaru) November 17, 2025
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当時、「京樽」は寿司店として、万博会場に名店街、中央広場、木曜広場、金曜広場の4カ所に出店しており、当初は「茶きん鮨」「海苔巻き」「いなり寿司」などを販売されていたようです。
また、うどんもメニューに加えていました。
ところが、開幕から1カ月後に大問題が発生したとのこと。
その大問題とは以下の通りです。
1. お寿司が売れすぎて、使い捨て容器のゴミが万博会場にあふれてしまった
2. 万博側から「何とかして」とSOSが来た
3. 使い捨て容器を使った寿司商品の販売を停止
2. 香川うどんの驚異的な販売実績について

「京樽」で、当時の万博に従事した高橋保男さんの証言によると、、
- 1日最高4,000杯のうどんを販売
- 平均でも1日約1,500杯
- メニューは:かけうどん、きつねうどん、月見うどん、天ぷらうどんの4種類
- 価格は100円~150円
- 開店から閉店まで毎日行列が続いた
- 万博会期は183日間(3月15日~9月13日)
※他情報では、多い日には1日に7千玉から8千玉も売れるという大繁盛ぶりだったとの記載が見られます
うどんの供給元は、「さぬき麺業」という香川の業者が卸していました。
京樽は「自動ゆで麺機」を導入し、袋麺(ゆで麺)を温めて提供していたそうです。
この提供していたうどんには、ある重要なポイントがあります。
それは、、
看板には「うどん」とだけ書かれていて、「讃岐うどん」という名前は明確に出していなかったとのこと。
それでも、この万博を機に関西の薄い色のつゆのうどんが全国的に認知され、讃岐うどんの名前が広まるきっかけになったと言われています。
3. 意外な話!万博で讃岐うどんがブームになったという通説は間違いの可能性?
TOKIOの長瀬君 絶賛の讃岐うどん さぬき麺業(株)製なのだ。新橋の香川・愛媛せとうち旬彩館にて購入 pic.twitter.com/Zc1Pu7XBPo
— elvis0713~Now we start from BERG here!~ (@elvis0713) June 2, 2014
万博で讃岐うどんがブームになったという通説の間違いの可能性についても触れておきます。
実は興味深いことに、香川県が公式に出展した「地方自治体館」のレストランでも讃岐うどんを提供していましたが、新聞報道では「高くてまずい」と評判は芳しくなかったと記録されています。
香川県では、1970年に開催した大阪万博において、単独での讃岐うどん店を出していなかったようです。
つまり、讃岐うどんを全国に広めたのは、香川県の公式PRではなく、東京の寿司店「京樽」が偶然の事情でうどんをメインに売ることになったという、まさに歴史の皮肉とも言える展開だったと言えます!
大阪万博後に、ダイエーやつくば万博にも出店したそうですが、大阪万博ほどの売り上げには及ばず、香川のうどんは関東には根付かなったそうです。
完全なる成功かは微妙ですが、この話は計画通りにいかないことが思わぬ成功につながる、素晴らしい例と言えるのかもしれません。

まとめ
番組で取り上げられた香川のうどんが有名になった理由についてでした。
香川のうどんが有名になった理由は以下の通りです。
1. うどんの提供元は、香川の老舗うどん屋「さぬき麺業」
2. 万博での販売元は、もともと寿司屋である「京樽」。 という構図で、寿司屋が出店したブースで売られたうどんが大ヒットした
※2は、寿司の使い捨て容器の衛生面の事情から、うどんが大ヒットした
以上がまとめです。
