2026年8月19日放送の『世界の何だコレ!?ミステリー』で、気になる謎が紹介されます。
それが、
「山の中腹に、しめ縄が張られた奇妙な巨大穴?」
というもの。
番組公式の予告では、富山県の山の中腹にあるという、この不思議な穴について詳しい場所までは明かされていません。
そこで今回、番組の予告映像や公開されている情報を手掛かりに調べてみました。
すると、私がかなり気になった場所がありました。
それが、富山県 砺波市(となみし)庄川町にある金屋石採掘場跡です。
現時点では番組から正式な場所の発表がないため断定はできません。
ただ、
「山の中腹」
「巨大な穴」
「しめ縄」
「庄川を挟んだ対岸」
「鯉恋の宮から見える」
という条件が、かなりきれいにつながるのです。
今回は、この謎の穴が金屋石採掘場跡ではないかと考えた理由と、金屋石にまつわる歴史を調べてみました。
※この記事は8月17日の番組放送前に記載したものです。
1.『世界の何だコレ!?ミステリー』で紹介される「謎の巨大穴」とは?
2026年8月19日(水)放送の『世界の何だコレ!?ミステリー』では、富山県の山の中腹にある謎の穴が取り上げられます。
番組公式の予告には、
「山の中腹に、しめ縄が張られた奇妙な巨大穴?」
と紹介されています。
また、この回にはVTR出演者として中岡創一さん(ロッチ)の名前も掲載されています。
では、この「山の中腹にある、しめ縄が張られた巨大穴」は、一体どこなのでしょうか?
私が調べていて候補として浮かんできたのが、富山県砺波市の金屋石採掘場跡でした。
※Googleマップでは金屋石の石切場跡
2. 謎の穴は「金屋石採掘場跡」が有力候補?
庄川水記念公園からみえる金屋石の採掘場跡(2年前) pic.twitter.com/5jGoCgGVr9
— tochka (@tochka_3ta) August 21, 2025
結論から先に言うと、
現時点では断定できません。
ただし、公開されている情報を照らし合わせると、私は金屋石採掘場跡がかなり有力な候補ではないかと考えています。
その最大の理由が、場所の関係です。
金屋石採掘場跡は、庄川の右岸にあります。
そして対岸には、庄川水記念公園があります。
庄川水記念公園の公式サイトでは、金屋石採掘場跡について、
「鯉恋の宮の対岸に見えます」
と紹介されています。
つまり、
庄川水記念公園
↓
鯉恋の宮
↓
庄川
↓
対岸の山
↓
金屋石採掘場跡
という位置関係なのです。
番組で中岡創一さんと小学生がいた場所が、もし鯉恋の宮周辺だったとすれば、そこから対岸の山腹にある採掘場跡を見ることができます。
#ロッチ 【出演情報】(予定)
— 【非公式】ロッチいんふぉ (@Lotti88128) August 16, 2026
8/19(水)
📺フジテレビ 19:00~ 世界の何だコレ!?ミステリー(中岡)
▽富山県・山の中腹にしめ縄が張られた謎の巨大穴
小学生が お花見に行った際に発見した謎の穴…
この場所は一体何なのか? 大好きな中岡隊員とともに調査へ!https://t.co/m9wQsJADOP pic.twitter.com/PsVvHUXlQw
これは今回のロケ地を考える上で、かなり気になるポイントです。
3.「金屋石」と呼ばれる所以について、、、
しかし、富山県砺波市の資料や庄川水記念公園の公式サイトで確認できる名称は、
「金屋石(かなやいし)」
です。
金屋石は、庄川右岸の一帯から採掘された緑色凝灰岩(グリーンタフ)です。
砺波市の説明によると、庄川の右岸には合口ダムから小牧発電所対岸の寒原付近まで、約1,000mにわたって岩盤が広がっています。
そこから採掘された石が「金屋石」と呼ばれています。
実は、石が採れた場所だけが名前の由来ではありません。
砺波市の資料によると、もともとの採掘地は庄川を挟んだ対岸の村の領域でした。
ところが、実際に採掘を行ったのは主に庄川対岸の金屋の人々。
そのため次第に金屋の人々の持山となり、そこで採れる石も「金屋石」と呼ばれるようになったと説明されています。
つまり、
というわけです。
-金屋石は何に使われていた?-
金屋石は、単なる建築用石材ではありません。
良質な緑色凝灰岩で、、
- 加工しやすい
- 比較的弾力性がある
- 建築用材として使いやすい
という特徴がありました。
そのため、
建築物
神社・寺院
狛犬
燈籠
各種装飾品
など、さまざまな用途に使われてきました。
そして、この金屋石の歴史を語る上で外せないのが、加賀藩と金沢城です。
-前田利常と金沢城――1632年に金屋石が使われた?-

金屋石には、加賀藩主・前田利常公との関係が伝えられています。
砺波市の資料に掲載されている「金屋石の歴史」では、
とあります。
ただし、ここには非常に重要な注意書きがあります。
砺波市の資料では、この1632年の記述に「伝承」と明記されています。
そのため、この記事では、
「1632年に金屋石が金沢城で使われたと伝えられている」
という表現にしておきたいと思います。
「1632年に金屋石が使われたことが史料で確定している」とまでは、現時点では言わないほうがよさそうです。
-ただし、1632年と金沢城には確かな歴史がある‐
ここは少し複雑です。
金屋石については「伝承」ですが、1632年に金沢城で大規模な整備が行われたこと自体は確かな歴史です。
石川県の金沢城の年表によると、寛永8年(1631年)に金沢城下で大火が発生。
その後、金沢城では大規模な修築が行われ、寛永9年(1632年)には犀川上流から水を引く辰巳用水が施工されました。
この辰巳用水によって、城内に水が引かれることになります。
そして、その水を運ぶための設備に、金屋石の石管が使われたとされているわけです。
-金屋石と「辰巳用水」のつながり-
金屋石の歴史を調べると、さらに面白いことが分かります。
辰巳用水には石管が使われました。
その石管に使用された石材として、金屋石が挙げられています。
しかも庄川水記念公園には、現在も辰巳用水などに関係する石管が展示されています。
つまり、
庄川で採掘された金屋石
↓
石管に加工
↓
金沢方面へ運搬
↓
辰巳用水などに使用
↓
金沢城の水利を支える
という壮大なつながりが見えてきます。
現在、山の中腹に残る巨大な採掘跡は、こうした加賀藩の土木事業ともつながっている可能性があるのです。
-金屋石はどうやって金沢まで運ばれた?-
これも興味深いところです。
庄川水記念公園の説明では、金沢城再建時の石管について、2,000本余りが切り出され、能登半島を回って運ばれたと伝えられています。
また、辰巳用水についての資料でも、金屋石の石管は船によって運搬されたと説明されています。
山から切り出した石を加工し、庄川を利用して運び、さらに海運などを利用して金沢方面へ運ぶ。
当時の石工たちにとっては、かなり大規模な仕事だったのではないでしょうか。
-金屋石の採掘は江戸時代だけではなかった-
では、この採掘場は江戸時代だけ使われていたのでしょうか?
実はそうではありません。
砺波市の資料を見ると、金屋石はその後も長く採掘されていました。
1830年(天保元年)以降の金沢城の記録にも金屋石が登場し、19世紀には金屋周辺に複数の石屋が存在していたことが記録されています。
さらに、採掘された石は庄川左岸の中洲へ運ばれて一次加工されました。
この中洲は、石工たちが利用したことから「石屋島」と呼ばれるようになりました。
-金屋石採掘場跡はいつまで使われていた?-
金屋石は江戸時代から昭和期まで長く利用されました。
庄川水記念公園では、江戸時代から昭和30年頃まで各所で広く使われてきたと説明されています。
一方、砺波市の資料では、昭和30年頃には山の中腹と石屋島を索道(ロープウェイ)で結んで運搬を合理化していたことが記録されています。
庄川の水記念日公園の前には金屋石というコンクリ、モルタル以前の石材の事とか大正時代の建築が残ってたけど、聞かないと分からない。
— チカモリ (@tikamorifugeshi) March 11, 2020
情報発信が素人目にみても足らないのよ。 pic.twitter.com/4TB5qgihwA
このことからも、少なくとも昭和期まで採掘・加工の仕事が続いていたことが分かります。
現在の巨大な穴は、こうした長い石切りの歴史が山に残した痕跡なのかもしれません。
4. 山の中腹にある「巨大穴」の正体は?
ここまで調べると、番組に登場する「巨大穴」についても、かなりイメージが変わってきます。
最初に見ると、
「山に巨大な洞窟がある」
ように見えるかもしれません。
しかし、金屋石採掘場跡だとすれば、その正体は、
金屋石を切り出すために人の手が入った採掘場
と考えるのが自然です。
現在でも採掘場跡には、当時の石切り場の痕跡が残っています。
しかも採掘場は急斜面にあります。
2020年の「金屋石を語る会」の活動記録でも、地元有志が現地に入り、採掘場跡で階段を整備したことが紹介されています。
記事には、
「石切り場は公園の向山にあり、対岸まではボートをつかって渡ります」
と記されています。
まさに、庄川を挟んで向こう側にある山腹の採掘場なのです。
| *参考元/@tscl-02・チャンネル |
|---|
| 金屋石切場跡2(富山県砺波市庄川町) |
5. では、なぜ巨大な穴に「しめ縄」があるの?
今回、私が一番気になったのがここです。
普通に考えると、
「昔の石切り場なのに、なぜしめ縄が張られているの?」
と思いますよね。
これについて調べてみると、かなり重要な情報が見つかりました。
地元の有志でつくる「金屋石を語る会」が、金屋石の石切り場跡で活動しています。
石森石材の記事によると、この会では年に数回、、
- 草刈り
- しめ縄かけ
- 石切り場跡地の整備
などを行っているそうです。
つまり、
しめ縄があること自体は、現在の地域活動と結びついている可能性が高い
ということです。
しめ縄の「本当の意味」はまだ分からない?
ただし、ここは断定しないようにしたいところです。
今回確認できた資料から、
「なぜ最初にしめ縄を張るようになったのか」
「いつから始まったのか」
「誰が始めたのか」
「具体的な祭祀上の意味は何なのか」
までは確認できませんでした。
そのため、
「昔から神聖な場所だったから、しめ縄が張られている」
と断定することはできません。
一方で、現在「金屋石を語る会」がしめ縄掛けを含む整備活動をしていることは確認できます。
したがって現時点では、
採掘場跡を地域の大切な場所として保存・顕彰する活動の一環として、しめ縄が掛けられている
と見るのが、一番慎重で自然だと思っています。
6. 穴を見かけた現地は「鯉恋の宮」からでは?
そして、今回のロケ地推定でもう一つ気になったのが、鯉恋の宮です。
庄川水記念公園には「鯉恋の宮」というスポットがあります。
公園の公式サイトでは、鯉恋の宮を「鯉に願をかけて恋をかなえるパワースポット」と紹介しています。
そして金屋石採掘場跡については、公式サイトに、
「鯉恋の宮の対岸に見えます」
と書かれています。
これが今回、私が「もしかして?」と思った大きな理由です。
当初は、『お花見に行った際に発見した謎の穴』と『川を挟んだ山の中腹』この2つの情報から、お花見場所を探すと、、
- あさひ舟川 春の四重奏(朝日町・舟川)
- 庄川水記念公園・庄川峡(南砺市・庄川)
- 常願寺川公園(立山町・常願寺川)
- 神通川堤防(富山市・神通川)
この4つが該当しそうでした。
一番に該当しそうなのは「庄川水記念公園・庄川峡(南砺市・庄川)」だったのです。
もし番組で中岡創一さんと小学生がいた場所が鯉恋の宮周辺だとすれば、
その場所から庄川を挟んで対岸の山を見る
という構図が成立します。
番組予告にある「山の中腹」という条件とも一致します。
【庄川周辺を実際に訪れてみたい方へ】
今回調べてみて、金屋石採掘場跡だけでなく、庄川周辺には自然や観光スポットがいろいろあることが分かりました。
「実際に富山へ行って、周辺の観光スポットも巡ってみたい」という方は、レジャー・遊び・体験の予約ができる**アソビュー!**で、富山県のお出かけ先を探してみるのもよさそうです。
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7.「謎の穴」は実は地域の歴史を物語る場所だった?

ここまで調べてみると、今回の『世界の何だコレ!?ミステリー』の「謎の巨大穴」は、仮に金屋石採掘場跡だった場合、単なる不思議スポットではありません。
そこには、
江戸時代の石工
↓
金屋石の採掘
↓
加賀藩・金沢城
↓
辰巳用水
↓
石管
↓
明治・大正・昭和の石材産業
↓
現在の地域保存活動
という長い歴史があります。
山の中腹に残る巨大な穴は、その歴史を現在に伝える「遺構」とも言えそうです。
そして、その場所に現在もしめ縄が掛けられている。
ここが、今回の謎をさらに面白くしているところだと思います。
8. 番組放送後に分かったこと

最後に、今回の調査を整理してみます。
| 項目 | 番組放送後に分かったこと |
|---|---|
| 番組の巨大穴 | 金屋石採掘場跡 (金屋石の石切場跡) |
| 所在地 | 富山県砺波市庄川町周辺 |
| 庄川水記念公園との関係 | 庄川を挟んだ対岸 |
| 鯉恋の宮との関係 | 公式に「対岸に見える」と説明 |
| 巨大穴の正体 | 金屋石の採掘跡である |
| しめ縄 | 現在の地域整備活動で掛けられていることを確認 |
| しめ縄の由来 | 石切場の先人らの歴史を風化させないために2011年代から毎年11月に しめ縄を付け替えている |
| 金沢城との関係 | 金屋石の石管使用が伝えられている |
| 1632年の使用 | 砺波市資料では「伝承」 |
| 番組ロケ地として確定しているか | 放送後のロケ地として確定 |
まとめ――富山県の「しめ縄が張られた巨大穴」はどこ?
今回調べた限り、私が最も気になった候補は、
富山県砺波市庄川町の「金屋石採掘場跡」
です。
理由は、
① 番組予告に「山の中腹」「しめ縄」「巨大穴」とある
② 金屋石採掘場跡は実際に山腹にある
③ 庄川水記念公園から対岸に見える
④ 公園公式が「鯉恋の宮の対岸に見える」と説明している
⑤ 現在も「金屋石を語る会」がしめ縄掛けなどの整備を行っている
という点です。
そして何より興味深いのは、そこが単なる廃墟ではないこと。
金屋石は、加賀藩の金沢城や辰巳用水とも関係すると伝えられている石材です。
1632年の金沢城での使用については、砺波市資料が「伝承」としているため、この記事でも断定は避けました。
放送後は、江戸時代から続く金屋石の採掘と加工の歴史、そして現在も続く地域の保存活動を知ることで、山の中腹に残る巨大な穴が金屋石の石切場跡であることが分かりました。
「なぜ、あそこに巨大な穴があるのか?」
その答えは、「怪奇現象」ではなく、、
何百年にもわたって山から石を切り出してきた人々の歴史
だったわけです。

