3月22日放送「やりすぎ都市伝説」で『あばれる都市電鉄の常磐線の謎』について紹介されていますね。
都市電鉄の常磐線の謎という題目ですが、地元だと存じている人が多く、謎というものではないのではないでしょうか?
今回は、ご存知な方もおられるかもしれませんが、それぞれの由来や謎とされていることについて触れていきます。
あばれる都市電鉄の常磐線の謎!
あばれる都市電鉄の常磐線の謎について、6つの由来や謎について触れていきます。
*あばれる都市電鉄 常磐線の謎!
・1.北千住の地名の由来とは?
・2.青井で正月に餅を食べない理由?
・3.水戸の偕楽園にある「不思議な穴」と「土壇場」とは?
・4.ひたちなか の「ちちんぷいぷい」伝説とは?
・5.日立の神々が集まる神聖な場所とは?
・6.阿武隈山脈で過酷な山岳修行とは?
上記について触れていきますが、記事はあくまでも予想ですので、番組内容と異なっていたら申し訳ありません。
1.北千住の地名の由来とは?
北千住の地名や由来には様々な諸説があり、どれが本当なのかは断定できません。
北千住は足立区にある駅名で地域や町名ではないことはご存知であると思います。
それぞれの5つの事柄で地名、または由来について触れます。
※ただ、見ようによっては「北千住」に限らず「南千住」にも同じことが言えそうです。
1.新井図書政次の千手観音 引き上げ説!
新井図書政次(あらいずしょ まさつぐ)は鎌倉時代に源頼朝に仕えた家臣で、この人物が荒川で舟から投網(とあみ)という円錐形の網を使い、魚を捕えようとしたところ、魚と共に千手観音を引き上げたという説です。
ちょっと信じられない話ですよね。
この千手観音様を勝専寺という浄土宗の寺院で安置されて、その土地で祀られたことから「せんじゅ」と呼ばれるようになったという説があるそうです。
2.千葉氏の在住豪族説!
千葉氏の始祖は桓武天皇から平氏の流れを汲む一族のようです。
戦国時代では武蔵の国が領地だったようですが、1590年に起きた秀吉の小田原征伐で後北条氏に味方したことで没落したようですね。
戦国時代に領地だった地域に千葉氏が住んだことで、千葉氏の「千」と、地域に住んだ「住」とが合わさって「千住」になったのではないかと見られています。
3.足利義政の愛人名「千寿」説!
足利義政は室町幕府の8代将軍であり、自分の妻(日野富子)が生んだ息子や自分の弟との後継者問題で応仁の乱が起きる要因となった人物であることはご存知ではないでしょうか。
足利義政には愛人がおり、「千寿」という名前であったことから後に伝えられたという説があります。
ただ、名前を見て分かるように「北千住」は「住」ですから、「寿」ではないですから関係ないのではと思うかもしれません。
関連があるかは分かりませんが、現在 足立区に「千寿第五小学校」という小学校があるので「千寿」と何かしらの繋がりがあるのかもしれません。
4.千住大橋に因んでいる?
千住大橋は、江戸の地に移封された徳川家康が1594年(文禄3年)に墨田川に架けた橋が千住大橋でした。
この橋は江戸の北の入口であったことから、後に「北千住」が何処かで使われるようになった可能性があるのかもしれません。
5.千住さんが北の地域に居を構えたから?
見たままですが、千住さんという方が北の地域で家を建てたからという逸話があるようです。
北の地域に居を構えたのにはわけがあり、ある夜に夢の中で神様に出会いお告げをいただいたようです。
お告げの内容は、北の地域に家を建てることで幸福になれるというものでした。
そこから北の地域に家を建てたことから、千住の北側で後に「北千住」になったという逸話です。
※いろんな説があるので、どの説が有力なのかは断定できません。
2.青井で正月に餅を食べない理由?
青井は、東京都足立区の中部にある地域です。
この地域では「餅なし正月」という風習があり、現在でも正月にお餅を食べない しきたりを守っている家もあるそうです。
正月は、お餅を搗(つ)かない、食べない、供えないとされています。
何故、正月にお餅を食べないのかについては3つの理由があるようです。
3つの理由について記載していきます。
1.年の暮れに落ち武者が餅を作る余裕がなかったから!
戦で年の暮れに落ち武者が、現在の青井地域に落ち延びたようです。
正月前にお餅の材料もない事から作りようもないので、正月はお餅抜きの芋雑煮をめしあがったようですね。
後の正月も、その時の苦労を忘れないよう耐え忍ぶために芋雑煮を食べていたそうです。
現在でも、その落ち武者が先祖であるかは分かりませんが、風習が残っているところを見ると子孫が守り続けているのかもしれないですね。
また、正月には家の中にお餅を持ち込む事はせずに蔵へしまっていたという話があります。
新年を祝う1月11日に蔵開きを終えてから、お餅を食べる習慣を守っている家もあるそうです。
2.職人がしきたりを破り餅を焼いて火事を起こしていたから!
これは、先ほどの落ち武者の苦労話に因んだ後の事であるようですが、盛んに行われていた綿栽培で出入りしていた職人らが、密かにお餅を焼いたことで火事を起こしていたそうです。
おそらく、その戒めから正月に餅を食べない事に繋がったのかもしれません。
3.正月に火事が起きたことで鷹狩に来ていた将軍様からお咎めを受けたから!
鷹狩に来ていた将軍様とは江戸時代の将軍様のようです。
具体的に何代目の将軍であるかは分かりませんが、この地域で家に火事が起こったことから地域全体でお咎めを受けたそうです。
この経緯から正月にお餅を焼いて食べることを禁止したようですね。
3.水戸の偕楽園にある「不思議な穴」と「土壇場」とは?
水戸の偕楽園にある「不思議な穴」と「土壇場」について記載していきます。
1.水戸の偕楽園にある「不思議な穴」とは、砕石抗と水戸城に続く通路!
水戸の偕楽園は、茨城県の水戸市 常磐町1丁目にあります。
偕楽園にある「不思議な穴」とは、常磐線の線路から偕楽園付近にある無数の洞窟の事であると思われます。
水戸の偕楽園の近くに洞窟みたいなのがあった。入りたかったけどだめだった。 pic.twitter.com/PL9m5LMswJ
— 三土たつお (@mitsuchi) September 24, 2014
洞窟は無数にありますが、長い年月で地震災害などで崩落している洞窟もあるようですね。
この洞窟が何であるかは偕楽園周辺にある「南崖の洞窟」についての説明書きがあります。
#偕楽園 をウオーキングしていたら南崖にキレイな #ねむの木の花
— 本橋紀子 (@DddiI7tNqwHwCfT) July 1, 2022
他の木より色鮮やか
もっと下って洞窟にご挨拶‥トンネルとか洞窟ってなんか好き😀
中は真っ暗で見えないけど水の音が‥
もっと澄んだ音だと
水琴窟なんだけど惜しい pic.twitter.com/z1Zqn7qslt
「南崖の洞窟」の説明書きによれば、この洞窟は江戸時代の砕石抗として掘られたものであるようですね。
つまり、砕石された穴がそのまま名残として現在でも残っているというわけです。
ただ、この「南崖の洞窟」は砕石抗としての役割だけでなく、噂によれば「水戸城に続く通路」であると言われています。
情報によると、水戸城に変事が起これば、直ぐに偕楽園へ脱出するための抜け道だったと、偕楽園の公式パンフレットには記載があるそうです。
2.水戸の「土壇場」とは、渋井町緑地の事で現在の平和や幕末の亡き死者の鎮魂を願う石碑として建てられている!
悲しいことがおきた場所だそうですが
— チェル【バク団BOYS'】 (@chel_cl) August 29, 2020
カエル達がそうならないように励ましているのかなとも思いました。#YouTube始めました #心霊#拡散希望RTおねがいします #チャンネル登録お願いします
【心霊】悲惨な出来事があった場所『渋井町緑地』に行ってきました。 https://t.co/y6NONtZTLJ @YouTube pic.twitter.com/D15atQtLjo
水戸の「土壇場」についてですが、これは茨城県の水戸市渋井町にある渋井町緑地という水戸市の公園のことです。
渋井町緑地は過去に「土壇場」と呼ばれていますが、あまりよい意味である呼ばれていたのではありません。
「土壇場」がよい意味でないことは「渋井町緑地碑」に記載があります。
それによると、、
引用:X(旧Twitter)より現在の渋井町緑地公園です
— 小野瀬石材@大洗町🔨 (@kuromorimine_p_) June 19, 2021
碑の文字が見えなくなっているので2枚目に書き出しました pic.twitter.com/bxAfsEF62i
『この地は、幕末における藩内の争乱の際に処刑された人々の遺骸が運ばれ、埋葬されたと言われている。そのため近在の人々は この地を「土壇場」と呼び、新川の淀みを「冥加淀」と言い伝えている。』
渋井町緑地碑には上記のように記載しています。
つまり、この地は各地の遺骸が運ばれてきて埋葬された場所の事を「土壇場」と呼んでいたのです。
粗末に埋められていたので、野犬やカラスがうろついていたとの事です。とても悲しい歴史ですね。
また、「土壇場」は危機的状況が近づく意味を表す言葉であるようですが、元々は斬首の場所という意味なので余計に悲しいですね。
渋井町緑地碑は過去にあった歴史を記載し、現在の平和や亡き死者の鎮魂を願う石碑として建てられたものです。
4.ひたちなか の「ちちんぷいぷい」の伝説とは?
おまじないの「ちちんぷいぷい」と言うと、幼い頃に よく親御さんから「痛いの痛いの飛んでいけー!」と聞いた方が多いのではないでしょうか。
どうも「ちちんぷいぷい」には、ひたちなか市に残っている「千々乱風伝説(ちちらんぷうでんせつ)」なのではないかという説があります。
「千々乱風」は、ひたち海浜公園内の沢田湧水地周辺にあったとされる三村の集落に75日間かけて暴風雨から砂に埋もれてしまったという言い伝えがあります。
「千々乱風伝説」とは周囲の景色がガラッと変わったことで、魔法のおまじない?という意味で「ちちんぷいぷい」が由来になったという事であるそうです。
ひたちなか市には、この伝説に因んだ「ちちんぷりんぷりん」というプリンがあるようです。
寝るまえのおやつ😋
— peko (@maria601224) May 7, 2019
ちちんぷりんぷりん🍮 pic.twitter.com/JFil6utpBI
「千々乱風伝説」やプリンなどを解説された方のYouTube動画がありますから確認してみてはどうでしょうか。
*ちちんぷいぷいの語源 YouTube動画URLは、こちらにあります。
・ちちんぷいぷいの語源 YouTube動画URL/https://www.youtube.com/watch?v=2tWqFFuSyrE
ちちんぷいぷいの語源 YouTube動画を見ることで「千々乱風伝説」やプリンについての詳細を確認できます。
5.日立の神々が集まる神聖な場所とは?
番組で紹介されている『日立の神々が集まる神聖な場所』とは、茨城県の日立市 入四間町にある御岩神社(おいわじんじゃ)の事ではないでしょうか。
茨城県日立市にある御岩神社(おいわじんじゃ)に行ったよ。とっても荘厳とした雰囲気!
— 神社豆知識bot (@bot_jinjya888) July 11, 2021
古代からこの場所は信仰され霊場と言われているよ。敷地内全体で、188柱の神様をお祀りしてるらしいんだ😲たくさんの神様にご挨拶出来るよ。 pic.twitter.com/3fAzyWUcxe
茨城県日立市にある御岩神社(おいわじんじゃ)に行って来ました。また、ご縁がありました。回向祭(えこうさい)。大日如来像の御開帳。 pic.twitter.com/yBm6lWWEvv
— れいこだ (@reikoda3) April 16, 2017
御岩神社は188柱の神々が祀られて、パワースポットとしても名高いことから『神々が集まる神聖な場所』として該当するのではないかと思われます。
樹齢500年以上と言われる三本杉の三又部分に天狗様が住まわれているという言われもあります。
山頂からの景色や季節の花々など自然が豊かで心身共に癒されるかもしれません。
ハイキングコースもあるそうなので、気になる方は御岩神社のウェブサイトで確認してみてください。
*御岩神社の所在地と運営情報
・所在地
〒311-0402
茨城県日立市入四間町752
・営業時間
6:00~17:00
・TEL
0294-21-8445
*交通手段
・小木津駅から県道36号経由を自動車で20分
・日立駅から県道36号経由を自動車で19分
・十王駅から県道60号とグリーンふるさとライン経由を自動車で19分
※注意:県道36号の日立方面は時間雨量10㎜以上において通行止めとなるようです。
*御岩神社のウェブサイトは、こちらです。
・御岩神社のウェブサイトURL/https://www.oiwajinja.jp/
御岩神社のウェブサイトをご覧いただくことで詳細情報を確認することができます。
6.阿武隈山脈で過酷な山岳修行とは?
余談ですが、番組の常磐線巡りの最後は常磐線とは関係ないのではないかと思います。
「阿武隈山脈で過酷な山岳修行」が放送されていますが阿武隈山脈というより、正しくは阿武隈高地(あぶくまこうち)や阿武隈山地(あぶくまさんち)と呼ばれるのが普通であると思われます。
阿武隈高地は宮城県南部から茨城県北部に高地は広がり、大部分は福島県に属しているとの事です。
おそらく阿武隈高地に、お笑いタレントの あばれる君が山伏の格好をして登山するのでしょう。
過酷な山岳修行が何処で行われるのかは存じませんが、考えられるのは以下の通りではないでしょうか?
*阿武隈高地に属する標高が高い山
・霊山 805m
・花塚山 918m
・口太山 843m
・日山(天王山)1057m
・五十人山 883m
・鎌倉岳(常葉)967m
・大鷹鳥谷山 794m
・高柴山 884m
・大滝根山 1192m
・蓬田岳 952m
・二ッ箭山 709m
・高笹山 922m
・和尚山 804m
「大滝根山(おおたきねやま)」は、福島県田村市と双葉郡川内村との境界に位置する山で阿武隈高地の最高峰との事です。
とても険しい山で、山頂付近には航空自衛隊の大滝根山分屯基地がありますが、それよりも山頂へ登る場合は事前に基地へ申請して許可を得ないと登れないようです。
「大滝根山」の標高は1192.1mで阿武隈高地で一番高いことから、番組で取り上げられる可能性が高いのではないでしょうか?
まとめ
あばれる都市電鉄の常磐線の謎について触れていきました。意外と知られていることかもしれないですね。
*あばれる都市電鉄 常磐線の謎!
・1.北千住の地名の由来とは?
・2.青井で正月に餅を食べない理由?
・3.水戸の偕楽園にある「不思議な穴」と「土壇場」とは?
・4.ひたちなか の「ちちんぷいぷい」伝説とは?
・5.日立の神々が集まる神聖な場所とは?
・6.阿武隈山脈で過酷な山岳修行とは?
これらの経緯のまとめは以下のようになります。
*1.北千住の地名の由来とは?
・1.新井図書政次の千手観音 引き上げ説!
・2.千葉氏の在住豪族説!
・3.足利義政の愛人名「千寿」説!
・4.千住大橋に因んでいる?
・5.千住さんが北の地域に居を構えたから?
*2.青井で正月に餅を食べない理由?
・1.年の暮れに落ち武者が餅を作る余裕がなかったから!
・2.職人がしきたりを破り餅を焼いて火事を起こしていたから!
・3.正月に火事が起きたことで鷹狩に来ていた将軍様からお咎めを受けたから!
*3.水戸の偕楽園にある「不思議な穴」と「土壇場」とは?
・1.水戸の偕楽園にある「不思議な穴」とは、砕石抗と水戸城に続く通路!
・2.水戸の「土壇場」とは、渋井町緑地の事で現在の平和や幕末の亡き死者の鎮魂を願う石碑として建てられている!
*4.ひたちなか の「ちちんぷいぷい」伝説とは?
・ひたちなか の「ちちんぷいぷい」の由来は、「千々乱風伝説」という説?
*5.日立の神々が集まる神聖な場所とは?
・日立の神々が集まる神聖な場所は、御岩神社かも?
*6.阿武隈山脈で過酷な山岳修行とは?
・阿武隈高地で標高が一番高い大滝根山で行われるのでは?
以上がまとめです。また、番組内容が間違っていたら申し訳ありません。
どうもテレビを確認すると、阿武隈山脈で過酷な山岳修行とは標高709mの二ッ箭山だったようですね。
※諸説については定まりのない内容もあるので、鵜呑みにせずに様々な言い伝えがあると認識してください。