5月16日放送の「先人たちの底力 知恵泉」に漫画家の里中満智子さんが出演されます。
過去にも番組内で天智天皇や天武天皇に関わることで出演されていたようです。
5月16日放送の番組内では、国づくりに尽力した3人の天皇ということで、天智、天武、持統の3天皇の事業について採り上げるようですね。
漫画家の里中満智子さんは、中高年の方々はご存知かもしれませんが、現在の若い世代の方々はご存知でないのではないでしょうか?
今回は、漫画家の里中満智子さんの奈良時代の主な作品や番組内の「 知恵泉」で語られる3天皇の事績の一部について採り上げます。
里中満智子さんの奈良時代の主な作品
里中満智子さんが描くのは少女漫画です。歴史に関わる漫画以外のものもありますが、今回は奈良時代の主な作品を3つ紹介します。
天上の虹
1983年(昭和58年)に連載されていたものなので、現在から40年前の作品になりますが、完結したのは2015年(平成27年)になります。
休刊した時期もあることから、30年で完結しています。この物語の時期は「 知恵泉」でも紹介される飛鳥・奈良時代にあたります。
天智天皇(中大兄皇子)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)は、乙巳の変というクーデターを起こして有力豪族の蘇我入鹿を暗殺するあたりから物語は始まります。
この物語の主人公は番組内でも採り上げられる天智天皇の娘である女帝の持統天皇(鸕野讚良皇女・うののさららのおうじょ)です。「乙巳の変」から、弘文天皇(大友皇子)と夫で叔父でもある天武天皇らの家族間で争う「壬申の乱」や2天皇の死後に事業を引き継いだ持統天皇の生涯が描かれています。
ちょうど、番組内の内容に近い時期を描いているので理解し易いのではないかと思います。
更に主人公の視点だけでなく、他の人物の人間模様や人間関係などの視点についても描かれています。
物語の中には「万葉集」も採り入れていることから、その時代を生きた人物の心情にも深く寄り添えるといいますか、理解できるのではないかと思います。
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女帝の手記
持統天皇亡き後の律令制度が整った奈良時代が描かれています。
この物語も女性天皇であり、孝謙・称徳天皇(第46代、第48代天皇)が主人公です。
持統天皇から見て、孝謙・称徳天皇は持統天皇の玄孫(やしゃご)になります。
父は、東大寺大仏の創建を命じた聖武天皇で、母は、光明皇后(藤原不比等の娘)です。
両親は共に藤原氏の血筋でもあります。
女性の身でしたから本来は皇位に就くはずではなかったのですが、藤原氏の血を受け継ぐ男子の親王が亡くなったことから、一度目の即位は藤原氏の傀儡として、二度目は自分の理想のために即位します。
物語の見どころは、一族で争った藤原仲麻呂の反乱(恵美押勝)、称徳天皇を支える弓削道鏡(ゆげのどうきょう)、天皇制度を守った和気清麻呂などが見どころです。
特に史実にある弓削道鏡の行いは悪く書かれていますが、この物語の弓削道鏡は穏やかに描かれています。
因みに孝謙・称徳天皇は女性皇族の中では珍しく即位前に女性史上初の皇太子になっています。
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長屋王残照記
長屋王(ながやおう)は時代としては、女帝の手記と同様の奈良時代に活躍していた人物です。
父は、壬申の乱で活躍していた高市皇子(たけちのおうじ)です。
天武天皇の孫というほうが理解し易いかもしれません。
この作品では父と同様に生真面目で優秀な人物として描かれています。
権力強化に固執する藤原氏一族と対立しますが、政争に敗れてしまいます。
長屋王の変で生涯が終わりますが、それまでに生きていた心情は少しでも理解できるのではないかと思います。
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国づくりに尽力した3人の天皇の事績
番組内でも3人の天皇が行った事業について紹介されると思いますが、主な事績について一部だけ採り上げます。
天智天皇の主な事績
・乙巳の変(645年)
天智天皇(中大兄皇子)と中臣鎌足たちがクーデターを起こし、蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏を滅ぼします。
・大化の改新(645年)
乙巳の変後に天智天皇は即位せずに叔父の軽皇子(孝徳天皇)を即位させて、豪族の合議制を中心とした政治から、天皇中心の政治へと改革を進めていきます。
・難波宮から飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきにみや)へ勝手に遷都(653年)
孝徳天皇と意見が合わず、中大兄皇子は群臣を率いて孝徳天皇を難波宮に置き去りにしたまま飛鳥板蓋宮へ勝手に遷都するという暴挙に出ます。
・白村江の戦いで大敗(663年)
660年に百済(くだら)が唐・新羅連合軍に滅ぼされます。百済復興に日本が肩入れして百済の遺民軍と共に唐・新羅連合軍と戦いますが大敗します。
・近江大津宮(おうみおおつのみや)で即位(668年)
667年に飛鳥から近江(現在の滋賀県 大津市)の地域へ遷都し、668年にようやく即位します。
新たな法令として近江令(おうみりょう)が制定とされていますが、信憑性に欠けます。
・庚午年籍の作成
現在で言えば戸籍の制度のことです。公地公民制の基礎とも言えます。
天智天皇の主な事績について
天智天皇の主な業績は乙巳の変によるクーデターを起こして「大化の改新」による天皇中心の改革を進めた事と「庚午年籍の作成」くらいではないでしょうか?
国の基礎は作ったかもしれませんが、近江大津宮で即位するまでの経緯は国民の税負担が多かったのではないかと思います。
特に百済復興に肩入れして、白村江の戦いで大敗したのは大きな損害です。
何故、百済復興に肩入れしたのかはわかりませんが?(中臣鎌足にそそのかされたのかも?)
天智天皇は、後に唐・新羅連合軍が日本へ攻めて来ると予測して大宰府に水城(みずき)という土塁を築いて防備を固めています。
結局、唐と新羅は日本へ攻めて来ずに唐と新羅は後に相争うことになり、新羅と日本は後に良好な関係を築くことから、何も百済に肩入れする必要はなかったと思います。
百済に肩入れしなければ、大宰府に水城という土塁を築いて防備を固める必要もなかったのではないでしょうか?
近江大津宮へ遷都するまでに公地公民制の基礎となる「庚午年籍の作成」などの事業も行っていますが、国民の負担だけが多かった(白村江の戦いの敗戦から大宰府に水城の土塁で防備を固めた負担など)ように思えるのです。
天智天皇は日本書紀では悪人とされる蘇我入鹿を倒した英雄のようにされていますが、実のところ非があるのは、天智天皇だったのではないでしょうか?
歴史教科書での「乙巳の変」についての記載では「蘇我入鹿が殺された」「倒された」「暗殺された」などの記載が多いです。
何か蘇我入鹿を憐れんでいるようにも見えます。
本当に悪人であれば「暗殺」ではなく、「誅殺」と記載するのが普通だと思います。
実際に非があったのは天智天皇で、行った行為は単なる政権の乗っ取りだったのかもしれません。
話が逸れてしまいましたが、天智天皇の国づくりの主な業績は「大化の改新」と「庚午年籍の作成」の基礎となる業績のみで、実際に改革制度を整えて実行したのは天武天皇と持統天皇の2人の天皇だと思うのです。
天武天皇の主な事績
・壬申の乱で勝利(672年)
天智天皇から皇位を継承した大友皇子(弘文天皇)と大海人皇子(天武天皇)が起こした内乱で大海人皇子が勝利します。
・皇親政治を行う(673年)
大臣を置かずに天皇と皇后、皇子らの皇族を中心とした政治を行います。天武天皇の在世時では、有力豪族が要職に就くことはなかったようです。
・飛鳥浄御原宮律令の制定(681年)
国の基礎となる行政の法律や民の法律といった内容のものを制定していますが、実際に実行されたのは天武天皇の死後で当時、皇后であった持統天皇のようです。
・八色の姓(やくさのかばね)の制定(684年)
姓(かばね)とは、ヤマト王権時代から有力な氏族に与えられた氏の体裁・性格を示す称号のことです。
氏の体裁と言っても理解しづらいですが、姓を名として与えられることで、身分、世間体といった面目を保っていたようです。八色の姓は、旧来の氏族制度を新しいものに改めたようです。
・冠位四十八階を制定(685年)
元々、推古天皇の頃に冠位十二階が制定されています。天智天皇の頃で白村江の戦い後に冠位二十六階を制定しているようですが、天武天皇の在世時に新しく改められたようです。
冠位四十八階が実際に実行されたのは、持統天皇が即位した690年のようです。
天武天皇の主な事績について
天武天皇は、壬申の乱後に律令制度の基礎を作っています。
兄の天智天皇よりも具体的な国づくりの基礎を固めているように感じます。
残念なところは、律令制度の完成間近で亡くなってしまうことです。
法や官位を改めて制定しますが、実際に実行されるのは持統天皇の即位前後のようです。
持統天皇の主な事績
・飛鳥浄御原宮律令の実行(施行・689年)
皇后時期に夫の天武天皇が681年に制定したものを689年に実行しています。
・冠位四十八階の実行(施行・690年)
天武天皇が685年に制定したものを690年に自身が天皇に即位して実行しています。
・庚寅年籍(こういんねんじゃく)の制定(690年)
父の天智天皇の事業を引き継いでいるようです。
・藤原京へ遷都(694年)
中国の長安の都を参考にして造営された都です。政治の行う中枢機関のはずでしたが、わずか16年で廃都となり、710年に平城京へ遷都しています。
・大宝律令の制定(701年)
中国(唐)の律令を参考にして作られたと考えられているようです。
刑罰、土地の管理制度、税制の仕組みなどで国家の収入を安定させる政治です。
持統天皇の主な事績について
持統天皇の主な業績は夫の天武天皇と父の事業を引き継いだことです。
天武天皇は国づくりの基礎は進めていますが、実行に移したのは持統天皇です。
持統天皇は、本来は皇位に就くはずではありませんでしたが、息子で皇太子の草壁皇子が早くに亡くなったことから皇位に就き、夫と父の事業を引き継ぎます。
持統天皇は、皇族間の権力闘争で身内を処刑してしまうという闇な部分もありますが、女性の身で国の礎を築いた業績は誇らしいものに感じます。
意外と天武天皇の在世時に律令制度の構想はある程度は決まっていたのかもしれません。
まとめ
漫画家 里中満智子さんの主な作品や知恵泉で語られると思われる3人の天皇の事績についてでした。
番組内の「 知恵泉」で3人の天皇の業績について何が語られるのかはわかりませんが、おそらく、上記で記載した事業が採り上げられるのではないかと思います。
個人的な憶測ですが、天智天皇の業績は改革の基礎となるものはあると思いますが、具体的な内容については近江令など、はっきりとしない部分があることから、実際に律令制度を整えて実行に移されたのは天武天皇と持統天皇だと思っています。
里中満智子さんの描く「天上の虹」では、史実に基づくものもありますから奈良時代を知りたい方には読みやすく理解し易いかもしれません。
但し、史実においてもはっきりとしない部分もあります。例えば、仲天皇(なかつすめらみこと)については誰のことなのかがわかっていません。
なので、この人ではないか?と思われる説で描かれています。「天上の虹」では、仲天皇は間人皇女(はしひとおうじょ)の事として描かれています。
「天上の虹」は、万葉集も採り入れてあるので人々の心情もより深くわかるのではないかと思います。
因みに余談ですが、里中満智子さんの作品の中には歴史ものではありませんが「アリエスの乙女たち」というものがあります。
1987年(昭和62年)にテレビで実写化されていて南野陽子さんがダブル主演の一人として出演されていたので、こちらの作品の方が根強く記憶に残っている方が多いかもしれません。