11月5日放送の番組に、鹿児島で偶然発見された古い牛乳瓶が紡いだ物語というものが紹介されています。
紹介された地域は指宿市(いぶすきし)です。
牛乳瓶には、見慣れない牧場名が記載されており、後に指宿市立指宿図書館にレファレンス(調査依頼)を出したことから資料やSNSを駆使して追跡調査をしています。
今回は、この古い牛乳瓶や、その物語に関わることについて触れます。
※この件についての情報源は少ないことから、番組内容とは相違があるかもしれません
1. 物語の始まり:古い牛乳瓶の発見!
情報によれば、2019年7月頃、ある廃屋から大雨で流されてきた空の牛乳瓶が通りに落ちているのを女性の方が発見されました。
女性は、その空の牛乳瓶を指宿市立指宿図書館に持っていき、刻まれている住所がどこなのかを知りたいと言われたようです。
その牛乳瓶には以下の文字がガラスに刻み込まれていました。
- 「林山牧場」
 - 「電話27番」
 - 「高温殺菌全乳」
 
この発見をきっかけに、発見者が指宿市立図書館にレファレンス(調査依頼)を出したことから、80年の時を越えた物語が動き出します。
2. 図書館による徹底調査!
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「林山牧場」の住所がどこなのかについて、指宿市立図書館の司書の方たちは、以下の方法で調査を進めました。
調査経緯は以下の通りです。
- 市役所農政部畜産係への問い合わせ → 不明
 - 指宿市誌の確認 → 記載なし
 - 戦前の広報誌 → なし
 - 戦後の電話帳 → 見つからず
 
文献資料だけでは限界があったため、図書館ネットワークを活用して地元の高齢者への聞き取り調査を実施しました。
地元の高齢者の証言は以下の通りです。
👴 地元高齢者の貴重な証言
O氏(当時94歳)の証言が決定的でした!
ああ、あった。知ってるよ。
牛乳通りの山崎パンの筋を山手に向かって入り、2、3軒先の右手にあったんだよな!
そんなに大きくなくて小さい牧場だったけど乳を搾って牛乳配達していた。
※一部分を抜粋しています
引用元/https://www.facebook.com/ibusukitosyo/posts/1334270076720777/
さらに重要な証言として、以下のように話されています。
自分より5つか6つ上の先輩で林山たつみさんという人がいてね、その人はマラソンの選手で足が速かったんだよ。
その人が裸足でランニングをはいて自転車に牛乳を積んで配達していたよ。よく覚えている。
その人のお父さんやお母さんの名前は憶えていないけどね、たつみさんは先輩だったからよく覚えている。
30歳くらいには亡くなったよ。
林山牧場は戦後はやっていなかったみたいだ。
もしやっていても30年代まではやってなかったはずだよ。
戦争であの辺はかなり空襲があったからね、やってなかったかもね。
自分が物心ある頃からやっていたから大正の初めかもっと前からやっていたかもねぇ。
※一部分を抜粋しています
引用元/https://www.facebook.com/ibusukitosyo/posts/1334270076720777/
これらの情報元や証言から推測すると、林山牧場の詳細情報は以下の通りになります。
牧場場所:指宿市内、牛乳通りの山崎パンの筋を山手に向かって2、3軒先の右手
経営者:林山たつみさん(マラソン選手でもあった)
事業内容:小規模な牧場で、乳牛を飼育し、牛乳を殺菌して自転車で配達
営業時期:戦後間もない頃?(昭和20年代前半~昭和30年代初頭と推定)
電話番号:27番(当時の指宿では2桁の電話番号が使われていた時代)
林山牧場の場所は、ザックリと指宿市内としています。
証言によれば大牟礼(おおむれ)1丁目や十二町大牟礼ではないかとも言われていますが、ハッキリとしません。
林山牧場の営業時期についても、戦後間もない頃と推定していますが、証言によって「大正の初めかもっと以前から」や「大正時代からやっていたかは分からない」と曖昧です。
仮に大正時代からやっていた場合は、100年前から営業していた可能性もあるかもしれません。
電話番号の27番は、戦後間もない昭和20年代の指宿において、番号は2桁が一般的でした。
電話を持てるのは限られた事業者や公共施設のみで、牧場が電話を持っていたことは、当時としては比較的大きな事業だったことが伺えます。
戦後の食糧難の時代、牛乳は貴重な栄養源であり、「高温殺菌全乳」という表記は、当時の衛生管理への配慮を示しています。
3. 物語の進展について
指宿図書館のFacebookによると、2019年11月28日の投稿で、さらに話が進化したことが報告されています。
投稿によると、林山牧場の直系の子孫である中村忠生さんから連絡があり、戦後まもない頃の林山牧場付近の暮らしの地図を書きたいという申し出があったとのことです。
と言われ、林山牧場レファレンスファイルを作成することになりました。
後にこの牛乳瓶のエピソードは、新聞に掲載されます。
それに興味を持った小学生がレファレンスについて、古い牛乳瓶1本から、指宿図書館の司書の方たちによって調査した内容が面白いと語っていました。
おそらく、番組で放送される『80年の時を越え、令和に繋がる物語』とは、これらのことが述べられているのではないでしょうか?
古い牛乳瓶1本から始まる この物語の経緯は、指宿市立指宿図書館長の下吹越かおる(しもひごし かおる)さんが語っているYouTubeがありますので、興味のある方は視聴してみてはいかがでしょうか。
| *参考元/@libaryfair3265・チャンネル | URL | 
|---|---|
| 最終審査用動画 (鹿児島・指宿市立指宿図書館)  | https://youtu.be/cfJLgyHZ0RM?si=1Isev4AoUMObDLRA | 
まとめ
鹿児島で発見された古い牛乳瓶が紡いだ物語についてでした。
80年前の牛乳瓶が、大雨で廃屋から流れ出てきたことで、この物語の意義についてまとめると、次のようになります。
1. 忘れられていた地域の歴史が蘇った
2. 図書館のレファレンス機能の重要性が示された
3. 高齢者の記憶が貴重な歴史資料となった
4. 林山牧場の子孫との再会が実現した
5. 地域の暮らしの記録を残すプロジェクトが始まった
6. 新聞掲載により、新たな興味を持つ方が増えた
指宿市立図書館は、この一連の調査と交流を丁寧に記録し、地域の歴史を次世代に継承する活動として展開していると言えます。
この物語は、一本の古い牛乳瓶が、図書館司書の熱意と地域の方々の記憶を繋ぎ、忘れられていた地域史を掘り起こした素晴らしい事例と言えるのではないでしょうか。
林山たつみさんが牛乳を届けていた姿が、80年の時を超えて蘇り、その記憶は現代にも興味を持つ人々によって紡がれています。
| *参考元 | URL | 
|---|---|
| 指宿市立図書館Facebook (2019年7月19日投稿)  | https://www.facebook.com/ibusukitosyo/posts/1334270076720777/ | 
| 指宿市立図書館Facebook (2019年11月28日投稿)  | https://www.facebook.com/ibusukitosyo/posts/1447477708733346/ | 
