茨城県大子町、難所な岩山の中腹にある秘仏は道祖神碑の事かも?【ナニコレ珍百景】

茨城県・大子町の山道
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3月31日放送「ナニコレ珍百景」『茨城・大子町、難所の岩山の中腹に秘仏』について取り上げられているようです。

おそらく中腹にある秘仏とは、「道祖神碑」ではないでしょうか?

紹介されている秘仏違っていたら申し訳ありません

今回は茨城県大子町にある道祖神碑について簡潔触れていきます。

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目次

ナニコレ珍百景で紹介している秘仏は道祖神碑の事かも?

「ナニコレ珍百景」『茨城・大子町、難所の岩山の中腹に秘仏』について取り上げられているのは道祖神碑事かもしれません。

筆者も具体的場所までは存じませんが、所在地茨城県久慈郡大子町栃原25地域であると思われます。

道祖神碑高さ85cm50cmあるようですね。石碑中央「道祖神」から文字刻まれています。

この道祖神碑何であるのか言うと、僧侶のような姿した道祖神行き先(道標指示しているのです。

画像にあるように、道祖神碑からて、、

・石碑の右上に「是より うわさわ だいご」

・石碑の右下に「やま道」


・石碑の左上に「是より とちはら たかぶ」


・石碑の左下に「是より おふさわ」

行き先文字刻まれています。

そもそも道祖神とは、、

道祖神は、路傍である。集落中心村内村外境界三叉路など石碑石像形態祀られる神で、村の守り神子孫繁栄近世では交通安全として信仰されている』

引用:道祖神 概要「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より

とあります。

普通石碑として守り神における交通安全神でもあるので、さほど珍しいものではないですが、この石碑僧侶のような姿して道標役割担っているから珍しいのです。

神仏習合形態では、とても異例であるそうです。

となくですが、仏様石碑って、見守ってくれているように感じられるかもしれないですね。

みに、この道祖神碑造立された年代記載ないので分からないようですが、江戸時代ではないか見られています。

元々伝承によると、1212年建暦2年)に親鸞聖人しんらん)が各地めぐり歩いて教えを広めていた時一夜あかしていましたが、物騒トラブル招かないため原画いて、その場立去ったようです。

その親鸞聖人いた原画地元住民いをめて彫刻り、それを記念碑として建てたという伝承があるようですね。

太子町内では建立された道標年代江戸時代中期以降とのから、道祖神碑江戸時代造立された見られているのは、その経緯があるからのようです。

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まとめ

【ナニコレ珍百景】茨城県大子町難所岩山中腹にある秘仏道祖神碑事かもしれないことについてでした。

道祖神碑について、、

・所在地は茨城県久慈郡大子町栃原25地域!

・道祖神碑の高さは85cm、幅は50cmある!


・石碑の中央に「道祖神」と縦から文字が刻まれている!


・道祖神碑は僧侶のような姿を模していて行き先(道標)を指示している!


・神仏習合の形態では、とても異例な事!


・道祖神碑の造立された年代は江戸時代ではないかと見られている!

以上がまとめです。

番組げている内容っていたら申し訳ありません。

番組確認したところ、紹介したものと違っていたようです。

番組放送されたのは茨城県久慈郡大子町であることは間違いないですが、高柴字大沢地内にある自然にできた洞穴内観音像であるようです。

正式所在地『〒319-3511 茨城県久慈郡大子町高柴2808』であり、洞穴にある観音像は、大沢穴観音と言うものであるそうです。

洞穴内には20体ほど観音像安置されていて、古くから地元住民五穀豊穣無病息災祈り捧げていようですね。

言い伝えとしては、幕末水戸藩勤王志士である関 鉄之介(せき てつのすけ桜田門外指揮してから幕府追われる身となり、この『大沢穴観音』隠したという伝承があるようです。

間違った情報を提供してしまい申し訳ありませんでした。

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この記事を書いた人

どうも初めましてマサと申します。岡山県在住の猫好きな50代のオッサンです。よろしくお願いします。
  *星座:牡牛座

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  *趣味:ゲーム:読書

     :ウォーキング

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