3月31日放送「ナニコレ珍百景」で『茨城・大子町、難所の岩山の中腹に秘仏』について取り上げられているようです。
おそらく中腹にある秘仏とは、「道祖神碑」の事ではないでしょうか?
紹介されている秘仏が違っていたら申し訳ありません。
今回は茨城県大子町にある道祖神碑について簡潔に触れていきます。
ナニコレ珍百景で紹介している秘仏は道祖神碑の事かも?
「ナニコレ珍百景」で『茨城・大子町、難所の岩山の中腹に秘仏』について取り上げられているのは道祖神碑の事かもしれません。
筆者も具体的な場所までは存じませんが、所在地は茨城県久慈郡大子町栃原25の地域であると思われます。
道祖神碑の高さは85cm、幅は50cmあるようですね。石碑の中央に「道祖神」と縦から文字が刻まれています。
道祖神碑
— はにわ┏|∵|┛ (@seimei421haniwa) December 11, 2023
行き先を、両手と両足で教えてくれる僧侶。#なんでもいいので神仏習合を表してみる pic.twitter.com/MrZ2IU0uln
画像にあるように、道祖神碑から見て、、
・石碑の右上に「是より うわさわ だいご」
・石碑の右下に「やま道」
・石碑の左上に「是より とちはら たかぶ」
・石碑の左下に「是より おふさわ」
と行き先が文字で刻まれています。
そもそも道祖神とは、、
『道祖神は、路傍の神である。集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている』
引用:道祖神 概要「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」より
とあります。
普通に石碑として守り神や旅における交通安全の神でもあるので、さほど珍しいものではないですが、この石碑は僧侶のような姿を模して道標の役割も担っているから珍しいのです。
神仏習合の形態では、とても異例な事であるそうです。
何となくですが、仏様が石碑に乗り移って、見守ってくれているように感じられるかもしれないですね。
因みに、この道祖神碑の造立された年代は記載がないので分からないようですが、江戸時代ではないかと見られています。
元々の伝承によると、1212年(建暦2年)に親鸞聖人(しんらん)が各地をめぐり歩いて教えを広めていた時に道で一夜をあかしていましたが、物騒なトラブルを招かないために原画を描いて、その場を立去ったようです。
その親鸞聖人が描いた原画を元に地元住民が強い思いを込めて彫刻を作り、それを記念碑として建てたという伝承があるようですね。
太子町内では建立された道標の年代が江戸時代中期以降との事から、道祖神碑も江戸時代に造立されたと見られているのは、その経緯があるからのようです。
まとめ
【ナニコレ珍百景】茨城県大子町、難所な岩山の中腹にある秘仏は道祖神碑の事かもしれないことについてでした。
道祖神碑について、、
・所在地は茨城県久慈郡大子町栃原25の地域!
・道祖神碑の高さは85cm、幅は50cmある!
・石碑の中央に「道祖神」と縦から文字が刻まれている!
・道祖神碑は僧侶のような姿を模していて行き先(道標)を指示している!
・神仏習合の形態では、とても異例な事!
・道祖神碑の造立された年代は江戸時代ではないかと見られている!
以上がまとめです。
番組で取り上げている内容と違っていたら申し訳ありません。
番組を確認したところ、紹介したものと違っていたようです。
番組で放送されたのは茨城県久慈郡大子町であることは間違いないですが、高柴字大沢地内にある自然にできた洞穴内の観音像の事であるようです。
正式な所在地は『〒319-3511 茨城県久慈郡大子町高柴2808』であり、洞穴にある観音像は、『大沢穴観音』と言うものであるそうです。
茨城県へ、フヨウフキュウのお出掛け!生瀬っつうとこに、#桜田門外の変 の首謀者の #関鉄之介 が、追っ手から逃げた時、忍んでいた洞穴があんのを、一年以上前にしった。今回は、その洞穴まで上ってみたっけ(みたけど)、スンゴイとこだった😱#方言 #茨城県生瀬 #大沢穴観音
— さとも子 (@omosiro_katarib) June 8, 2021
#かたりべ #勤皇 pic.twitter.com/8SHqTpH6K3
洞穴内には20体ほどの観音像が安置されていて、古くから地元住民が五穀豊穣、無病息災を祈り捧げていたようですね。
言い伝えとしては、幕末の水戸藩の勤王志士である関 鉄之介(せき てつのすけ)が桜田門外を指揮してから幕府に追われる身となり、この地の『大沢穴観音』に身を隠したという伝承があるようです。
間違った情報を提供してしまい申し訳ありませんでした。