大河ドラマ鎌倉殿の13人で第46回 「将軍になった女」を見ていて不思議に感じられることがあります。
時期的にも泰時の息子である時氏の存在が出て来てもいいはずなのですが、出ている様子がないように思えます。おそらく、幼年期や少年期も描かれていないと思います。
今回は第46回放送で北条時氏(ほうじょうときうじ)が登場していないことを不思議に感じられた理由や時氏が存在していたら何歳だったのか?について採り上げたいと思います。
ご興味のある方はお付き合いください。
時氏が登場していないことが不思議に感じた理由
史実でも泰時と初(おそらく、矢部禅尼)との間に時氏が誕生していますから第46回放送でも登場していてもいいはずでした。
ところが、第46回で義時と のえ(おそらく、伊賀の方)の息子で北条政村が登場しました。政村は父、義時の5番目の息子であり後に執権や連署の要職についた人物です。
先に政村が登場したことが不思議に思えたのです。政村が登場したのであれば時氏が登場していてもおかしくないはずです。
更に、政村の腹違いの兄であり、子役で登場したと思われる北条重時も成長しているはずですが、大人になっての姿が見えません。
時氏は後に起こる承久の乱で父、泰時と共に出陣して功績を残していることから意外にも重要な人物です。
時氏が存在していたら何歳だったのか?
北条時氏が生誕したのは1203年とされています。ドラマで描かれた第46回は源実朝が暗殺された年ですから1219年です。時氏は数え年で17歳だったことになります。
因みに北条政村が生誕した年は1205年ですから1219年で数え年だと15歳です。時氏が2歳年上ですから先に政村が登場しているのなら時氏も登場していてもおかしくなかったはずなのです。
更に政村と時氏は叔父と甥の関係ですが、時氏が2歳年上ですから政村は年若い叔父ということになります。これも不思議な感覚ではないでしょうか。
まとめ
北条時氏が登場していないことが不思議に感じた理由と存在していたら何歳だったのか?について採り上げました。
今後、時氏が登場するのかはわかりませんが個人的には登場してほしいと思っています。時氏を登場させない理由はもしかすると早くに亡くなってしまうからかもしれません。
彼は4代目の執権候補だったはずですが、28歳で早世してしまいましたから政治的な功績はあまり残せていません。
脚本家の三谷幸喜さんは、時氏の功績が少ないことから除外しているのかもしれません。あくまで、憶測です。
記事にお付き合いいただきありがとうございました。