7月21日放送「月曜から夜ふかし」に、『奈良で犬を飼ってはいけない町』について取り上げられています。
犬を飼ってはいけない町など、通常ではありえないと思いますが、実際にあるようです。
今回は、犬を飼ってはいけない町について触れていきます。
※番組内容と相違があるかもしれません
奈良で犬を飼ってはいけない町は、吉野町窪垣内
奈良で犬を飼ってはいけない町は、奈良県吉野郡吉野町窪垣内(くぼがいと)という地域です。
奈良県吉野郡吉野町窪垣内は、1300年以上にわたり犬を飼わないという独特の文化を持つ集落であり、この伝統の背景には、歴史的な出来事と伝説が深く関わっています。
歴史的な背景と文化的影響について、触れておきます。
吉野町窪垣内の歴史的背景
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引用元/@yeltama Xより
窪垣内の犬を飼わない理由は、壬申の乱(672年)に遡ります。
壬申の乱は、天智天皇亡き後の跡継ぎ(皇位)を巡って、大海人皇子(後の天武天皇)と大友皇子(弘文天皇)の間で起こった内乱であることはご存知だと思います。
※弘文天皇は明治以後に諡号されています
この内乱では、大海人皇子が劣勢に立たされ、窪垣内に逃げ込みました。
彼は二人の舟渡し守に助けを求め、追手から隠れるために舟の下に匿われています。
その際、追手が連れていた犬が吠えたため、村人はその犬を石で打ち殺し、大海人皇子を救ったとされています。
この出来事から、犬を飼うことは災いを招くと信じられるようになり、以降、窪垣内では犬を飼わないという習慣が続いています。
因みに、追手の一匹である「カグハナ」という犬は、大海人皇子の愛犬ではないかとも言われているようです。
*参考元 | URL |
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exciteニュース | https://www.excite.co.jp/news/article/Japaaan_169779/ |
吉野町窪垣内の文化的影響
この伝説は、地域の人々に深く根付いており、犬を飼ったり犬の形をしたものを置いたりすることは避けられているようです。
窪垣内の御霊神社には狛犬も置かれておらず、犬に関する供養のための犬塚が設けられています。
①奈良県吉野町窪垣内の犬塚を訪れた。もと小学校の校庭隅に犬塚の碑がある。壬申の乱672年、のちに天武天皇となる大海人皇子はいくさの形勢が一時不利となり、この地へのがれてきた。土地の老人が船を逆さにして皇子をかくまうと追っ手は皇子の愛犬カグハナを派遣した。②へ pic.twitter.com/5Fj2ZVuwBm
— 杜すいとん 行きたいところばっかし (@wolfmuzzle1) October 5, 2017
引用元/@wolfmuzzle1 Xより
これ以来、窪垣内の集落では、犬を飼うと災いが起こるということで、現在でも犬を飼わない。 https://t.co/dvKXcjA3ZH
— 丿者@一等無人航空機操縦士 (@SanzinKamui) January 21, 2022
引用元/@yoshinomaho、@SanzinKamui Xより
この犬塚は、殺された犬の供養のために建てられたもので、地域の人々は今でもその伝承を大切にしています。
所在地:〒639-3432 奈良県吉野郡吉野町窪垣内
まとめ
番組で取り上げられた『奈良で犬を飼ってはいけない町』についてでした。
奈良で犬を飼ってはいけない町は、奈良県吉野郡吉野町窪垣内(くぼがいと)です。
現在でも、窪垣内では犬を飼わないという伝統が守られており、地域の人々はこの因習を尊重しています。
犬を飼うことが災いをもたらすという信念は、地域のアイデンティティの一部となっており、観光名所としても知られているようです。
先ほど、記載した壬申の乱の歴史的背景をまとめておきます。
*壬申の乱の歴史的背景 | 内容 |
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壬申の乱での大海人皇子の逃亡 | 1.672年に起きた壬申の乱で、劣勢だった大海人皇子は吉野の国栖(くず)の里に逃れた |
国栖の翁による匿い | 2.国栖の翁(または舟渡し守とされる二人)が、追手から大海人皇子を守るため、川原で舟を逆さにしてその下に匿まった |
犬の嗅ぎつけと翁の行動 | 3.大友皇子の追手が犬を連れてきた一匹である「カグハナ」という犬が、舟の周りを嗅ぎまわり、大海人皇子の存在を知らせようと吠え始めた 窮地を察した翁は、とっさに石を投げてその犬を打ち殺し、大海人皇子の危機を救った |
4. 犬塚の建立と慣習の始まり | その後、殺された犬は丁重に供養され、「犬塚」を建立 この出来事以来、この犬塚がある窪垣内地区では「犬を飼うと災いが起こる」という言い伝えが残り、誰も犬を飼わないという慣習が定着した |
この地域は、歴史的な背景と文化的な信念が交錯する特異な地域であり、犬を飼わないという伝統は、地域の人々の生活に深く根付いています。