現在現役で40歳という年齢で競輪競技を続けている山本伸一選手について、意外な過去の経歴があるのをご存知でしょうか?
山本選手は以前はプロ野球選手だったようです。
山本選手が競輪選手となったのは26歳前後からのようですね。
今回はプロ野球選手だった頃の山本選手について触れていきます。
競輪 山本伸一(やまもと しんいち)選手は元々プロ野球選手だった!
山本伸一選手は、現在は競輪競技の選手ですが過去はプロ野球選手でした。
ただ、プロ野球選手と言っても日本野球機構(NPB)に属していない独立リーグで活躍していた選手なので、日本野球機構(NPB)にセ・リーグやパ・リーグなどテレビ放送されるような事がほとんどないためご存知なでない方が多いかもしれません。
山本選手は1983年(昭和58年)に京都市で誕生し、高校は関西創価高校、大学は創価大学、大学卒業後は佐川急便大阪の全日本軟式野球連盟加盟チームに所属していました。
山本選手は高校時代まで野球を通じて通っていたと思われるので、関西創価学校が中学、高校の一貫校であることを考えると中学時代も関西創価中学校に通っていたのかもしれないですね。
1年ほど所属していたと思われる佐川急便大阪から地方の独立リーグである四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスというチームに入団しています。
四国アイランドリーグplusは四国の4県の地域で活動している4チームです。
この独立リーグから日本野球機構(NPB)の選手を目指そうとする選手もいることから、地域リーグは一種の登竜門と言えます。
山本選手が入団してから1年後の2007年12月に九州の福岡県と長崎県で活動している球団が加入した事で、四国アイランドリーグplusから四国・九州アイランドリーグに名称が変更されています。
入団当初の山本選手は外野手だったそうですが、一年後に内野手となっています。
山本選手は高知ファイティングドッグスで4年間在籍していますが、日本野球機構(NPB)からドラフト指名が無いために2009年のシーズンを最後に退団し、現役も引退しています。
山本選手は意外にも好成績を残していると言えます。
4年間での打率では2割9分6厘で2007年は2割に満たない1割代でしたが、他の年の打率は3割を超えています。
得点では2009年に63得点で、その年ではリーグの最高得点でしたし、盗塁も最多で2008年に53盗塁で歴代リーグでは最高でした。
以上の野球経歴を見ていると好成績に感じますが、日本野球機構(NPB)からドラフト指名されなかった事は非常に残念であり、本当に狭き門であると感じますね。
一応、山本選手のプロフィールや野球時代の経歴を簡潔に記載しておきます。
山本伸一選手のプロフィール
*山本伸一選手のプロフィール
・生年月日/1983年(昭和58年)2月15日
・出生地/京都府京都市
・高校学歴/関西創価高等学校
・大学歴/創価大学
・競輪学校歴/第101回生
・現所属/日本競輪選手会奈良支部
・級班/S級1班
・血液型/A型
・身長/175.6㎝
・体重/82㎏
※身長と体重は2024年1月時点。
山本伸一選手のプロ野球時代の経歴
*プロ野球時代の経歴
・所属チーム/佐川急便大阪
(2005年?~2006年)
・所属チーム/高知ファイティングドッグス
(2006年~2009年)
・背番号/23(高知チーム)
・ポジション/外野手、内野手
(2007年から内野手)
・投打/右投左打
・登録名/YAMASHIN
(2007年、内野手変更から)
*主な好成績
・2008年 盗塁成績/53
(歴代リーグ最高)
・2009年 得点成績/63
(2009年リーグ最高)
・通算打率/2割9分6厘
※通算打率は4年で2007年以外の打率は3割を超えていた。
1年目(2006年)/3割2分1厘
2年目(2007年)/1割8分7厘
3年目(2008年)/3割0分7厘
4年目(2009年)/3割4分1厘
まとめ
競輪 山本伸一選手の意外な過去の経歴についてでした。
競輪選手になる前の山本選手は独立リーグ(地方)のプロ野球選手でした。
日本野球機構(NPB)のようにテレビ放送される事が無い稀な独立リーグのため、知名度としてはあまり知られていなかったと思われます。
しかし、4年間の通算打率は2割9分6厘と中々の好成績であると感じます。
NPBからドラフト指名されなかったのは残念ですが、これもテレビ放送されていないための知名度の低さからNPBでは、あまり知られていなかった可能性もあるのかもしれません。
最近はインターネットによる配信に力を入れているリーグもあるとのことですから、今後は実力があれば独立リーグの選手もNPBでドラフトに指名される可能性も高くなるかもしれません。
山本選手が独立リーグで活躍していた時代は、まだインターネットによる配信に力を入れているリーグは少なかったと思われますから運が悪かったのかもしれません。
引退した頃は26歳前後であると思われますから、まだ現役として続けていけたのではないかと思います。
何故、引退されて競輪選手になったのかの経緯については分かりませんが、今後分かれば追記したいと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。