米国同時多発テロは2001年9月11日に起こった悲劇的な事件であることはご存知だと思います。
フジテレビの「世界の何だコレ⁉ミステリー」でも取り上げられていましたね。
今回は日本人消防士が救助活動に参加した経緯、消防士11人の当時の所属先や後の活動について触れていきます。
1. 日本人消防士が救助活動に参加した経緯は?
今日9月11日で、アメリカ同時多発テロ事件から20年を迎えます。当時ニューヨークの現場に駆け付け、救助活動に参加した11名の日本人消防士がいたことをご存じでしょうか。彼らのストーリをぜひお読みください。 🇺🇸🇯🇵https://t.co/Ht2SYsr0WV
— アメリカ大使館 (@usembassytokyo) September 11, 2021
引用元/@usembassytokyo Xより
米国同時多発テロは2001年9月11日に起こった悲劇的な事件で9.11事件とも呼ばれています。
3000人近い死亡者数に、負傷者も2万人以上と被害が甚大であったことはご存知だと思います。
救助活動に参加した日本人消防士11人は、日本から派遣された救助隊と思われるかもしれませんが、彼らは有志のボランティアだったのです!
なぜ 救助活動に参加したのかと言うと、世界で行われたスポーツ交流が影響しています。
交流したスポーツ競技とは「世界警察消防競技大会」や「インディアナポリスのスポーツ競技大会」のことです。
「世界警察消防競技大会」は2年に1度の開催競技で世界警察消防競技大会連盟本部が主催しているものであり、世界各国の警察官や消防士が参加しています。
「インディアナポリスのスポーツ競技大会」は、アメリカ合衆国インディアナ州の都市で開催している競技です。
特に当時 東京消防庁に勤務していた濱 弘一(はま こういち)さんや横浜市消防局に勤務していた署員らも救助活動に参加したいという気持ちが強かったようです。
事件後にニューヨーク市の消防局から消防士仲間に救援メールが届いています。
航空機の運航が再開されていなかった事や日本消防士として勤務で長く滞在できない事などで、直ぐに救出に向かえない状況でした。
9月下旬から航空機の運航が再開されてから、ようやく日本人消防士11人が現地へ向かいます。
日本の正規の救助隊ではなく、有志のボランティアなので現地へ向かう運航費は自費だったとの事です。
危険を伴う可能性があるのに現地へ向かう運航費は自費だったのは、聞いていても頭が下がる思いですね!
ただ、事件で損害を被った現地の「グラウンド ゼロ」は非常警戒区域でしたので他国の人が関わることは本来 無理でした。
しかし、ニューヨークの消防士1人が駆けつけた日本人消防士の存在に気付いたことから現地へ連れていってくれることになります。
現地では犠牲となった消防士らの葬儀に参列したり、わずかな時間ですが救助活動にも参加できたようです。
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2. 当時 救助活動に参加した日本人消防士11人の所属先!
救助活動に参加した日本人消防士は当時 各地方の消防局で勤務されていた方々です。
救助活動に参加した日本人消防士の方々は次の通りです。
*当時の救助活動に参加した消防士
*氏名 | *所属先 |
---|---|
・濱弘一さん (はま こういち) | 東京消防庁 |
・武藤勝行さん (むとう かつゆき) | 堺市消防局 |
・志澤公一さん (しざわ こういち) | 横浜市消防局 |
・大江道就さん (おおえ みちなり) | 横浜市消防局 |
・斎藤禎史さん (さいとう よしふみ) | 横浜市消防局 |
・牧野暁さん (まきの さとる) | 横浜市消防局 |
・小玉敦司さん (こだま あつし) | 川崎市消防局 |
・山本大介さん (やまもと だいすけ) | 川口市消防局 |
・山東雅克さん (さんとう まさかつ) | 大阪市消防局 |
・小濱直之さん (こはま なおゆき) | 大阪市消防局 |
・水野晴夫さん (みずの はるお) | 名古屋市消防局 |
上記11人の方が有志のボランティアとして救助活動に参加していました。
因みに、当時 日本の正規の救助隊は派遣されていないようです。
当時の防衛省・自衛隊の状況については存じませんが、救助隊を派遣することは難しかったのかもしれないですね。
3. 日本人消防士11人 その後の活動は?
日本人消防士11人のその後の活動について、具体的に分からないところが多いので分かっている範囲で触れていきます。
①濱 弘一さん
9.11事件の救助活動ではリーダー的な存在でしたが、事件後の活動については不明です。
現在については存じませんが、2021年の情報によると消防署を定年退職しているようですね。
②武藤勝行さん
武藤勝行さんは、2009年(平成21年)7月31日のバンクーバーで開催された「World Police & Fire Games」では、日本警察消防スポーツ連盟の副理事長という役職でした。
その後の2015年(平成27年)には同連盟の理事長になっているという情報があります。
現在については不明です。
③志澤公一さん
志澤公一さんの救助活動後は現地の経験が活かされてか、日本の災害支援を行っています。
・新潟県中越地震/2004年
・新潟県中越沖地震/2007年
・東日本大震災(宮城)/2011年
・熊本地震/2016年
・西日本防雨災害(岡山)/2018年
・令和元年豪雨災害(千葉)/2019年
・熱海土石流災害/2021年
現在までに甚大な災害の救助活動に携わっています。
特に東日本大震災では、9.11事件以前から親交のあった消防士仲間との絆でアメリカから2万人もの救助隊が派遣されていました。
わずか11人の日本人消防士でしたが、9.11事件後のアメリカでは かなり感謝されていたのでしょうね。
志澤公一さんは現在(2024年時点)でも災害支援活動をされていて公安職員やNGO災害復旧支援プロボノ組織のリーダーでもあります。
日本や他国の災害・被災地域に赴き活動中です。
志澤さんの現在の年齢(2024年9月時点)は59歳前後だと思われます。
④大江道就さん
大江道就さんの救助活動後の詳しい経緯は不明です。
昨年(2023年)の4月には、人事異動で栄消防署(横浜市消防局)の課長補佐から港北消防署の警防課警防第二担当課長となっているようです。
消防司令長としての昇進のようですね。
現在も現役で活動されているのだと思われます。
⑤斎藤禎史さん
斎藤禎史さんの救助活動後の詳しい経緯は不明です。
詳細が分れば後に追記します。
⑥牧野暁さん
牧野暁さんは、2011年3月に起きた東日本大震災で全国の消防隊で組織された「緊急消防援助隊」の神奈川県から第一次隊として約3日間活動していたことがあります。
2022年4月には、戸塚消防署の警防課警防第二係長から市長部局の出向となっています。
2024年は総務局の危機管理課で担当係長ですが、4月からは港南消防署の警防課 課長補佐として昇進しています。
現在も消防局で勤務されているようです。
⑦小玉敦司さん
小玉敦司さんの救助活動後の詳しい経緯は不明です。
確かな情報とは言えませんが、2015年に行われた救出活動で体力を競い合う「ステアーレース」という階段を駆け登るレースの大会に携わっていたみたいですね。
2018年7月に発生した西日本豪雨災害でも復旧支援活動に取り組んでおられたようです。
現在の活動については不明なので詳細が分れば追記していきます。
⑧山本大介さん
山本大介さんの救助活動後の詳しい経緯は不明です。
過去の1994年(第23回)と1995年(第24回)に全国消防救助技術大会の競技に出場していたという情報があります。
全国消防救助技術大会とは、救助活動において必要な技術に体力や精神力を養うことを目的としており、毎年開催されています。
競技の氏名を確認してみましたが、山本大介さんの氏名は見あたりませんでした。
2017年には重度の心臓病を患っていたタイ人女性が倒れ込んだことで山本さんが救命処置をしていたことがあります。
ただ、山本さんは救急救命士の資格を持っていないことから、研修で学んだ知識で救ったのだそうです。
山本さんは救命処置に自信が無かったことから女性が無事なのかが気がかりになりましたが、後にタイ人女性の方の手術が無事に成功したことで、山本さんは安心したとの事です。
現在 山本さんの活動については不明ですが、9.11事件後と変わらず救助活動しているのではないでしょうか。
因みに、山本さんの現在(2024年時点)の年齢は54歳前後であると思われます。
⑨山東雅克さん
山東雅克さんの救助活動後の詳しい経緯は不明です。
ただ、昨年(2023年)のXの投稿で『歌ネタユニット漫才の相方36期』という肩書きを見ました。
山東雅克さんの写真展が開かれていたとの事です。
🙆歌ネタユニット漫才の相方36期山東雅克さんの写真展を見に行きました。彼は2001年米国9.11同時多発テロ事件時、6人の日本消防士代表として参加され活躍されました。彼の勇気に心打たれました。 pic.twitter.com/MDAM5oSXkT
— 西山工務店(吉本興業の75歳。超若手芸人) (@hi1ro2shi3ne) July 2, 2023
引用元/@hi1ro2shi3ne Xより
歌ネタユニットで漫才との事ですから、山東さんはバンド的なものや漫才などもされていたのかもしれないですね。
詳細は不明なので分かり次第 追記していきます。
⑩小濱直之さん
小濱直之さんの救助活動後の詳しい経緯は不明です。
詳細が分かり次第 追記していきます。
⑪水野晴夫さん
水野晴夫さんの救助活動後の詳しい経緯は不明です。
水野さんも2000年に開催された第29回 全国消防救助技術大会に出場したか、携わった可能性があるみたいです。
その他については不明ですので、詳細が分かり次第 追記していきます。
4. まとめ
米国テロ事件(9.11事件)で救助活動した日本人消防士が、なぜ参加したのかについてでした。
日本人消防士が救助活動に参加した経緯は次の通りです。
・世界警察消防競技大会やインディアナポリスのスポーツ競技大会でアメリカ(ニューヨーク州)の消防士仲間らとスポーツ競技を経て親交を深めていた事で救助要請から救出に向かった!
救助活動に参加した日本人消防士11人の所属先は先ほど記載しています。
*参加した消防士の所属先
・東京 1人
・堺市 1人
・横浜市 4人
・川崎市 1人
・川口市 1人
・大阪市 2人
・名古屋市 1人
各地方の消防局から有志のボランティアとして事件後の救助活動に参加していました。
日本人消防士11人のその後の活動は不明な部分が多いので、後に詳細が分かり次第 追記していきます。